近況アップデート

おはようございます。佐々木病院の主治医(名前を忘れました)と会いましたが、誰とも意見が合わないし喧嘩してしまう、というのはもうどうしようもないのでしょう。例えば彼は、バイトでもすればいいと思っています。私はそう考えません。だから話しても意味がありません。

私は彼を困らせたことはないと思います。自分の意見を彼に言いません。そういうことには意味がないからです。

私の感想は、処方される薬がどんどん減ることだけはいいことだから、ゼロになればもう佐々木病院と手を切ることができるだろうということだけです。その程度には精神医療を軽蔑しています。私が精神医療を軽蔑してもいいと思います。医者は私に何もできないというのですから、そのような専門家など無用だと私が考えても当然でしょう。

さて、サー・ジョン・バルビローリ指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団マーラーの『交響曲 第9番』を聴いています。1964年の録音です。第9番はマーラーが完成させた最後の作品です。彼が呪術的に思い込んでしまった通り、9番を書いたら死にました。10番もあったと思いますが、未完成だったと思います。

ライナーノーツを読みますと、こういうことがありました。アルバン・ベルクマーラーの若い友人で、特に許されて、交響曲第9番の第一楽章の手書きスコアを借りてきて自宅で吟味検討しました。そしてこういっています。「もういちどぼくはマーラーの〈第9交響曲〉のスコアをピアノで弾きとおしてみました。その第一楽章はマーラーがこれまでに書いた最もすばらしい、この世ならぬ美しさにあふれている音楽です。それは、異常なほどこの現世を愛していること、地上で安らかに暮らすことへの限りない憧憬、大自然をその底の底まで愉しむことなどを表現してしているのです──死がおとずれる前に。マーラーはもういてもたってもいられないぎりぎりの瀬戸際に追いつめられているのですから。その全楽章は死の予感に浸透しています。何回も何回も死の予感が突発します。現世の夢想のさまざまな要素が立ち昇ってくるのです…この死の予感が確実になる、あの巨大なパッセージで現世の夢はもっとつよくなるのです。そこでは、生きていることの痛いほどの喜びがこの上もなく強く(hocheste Kraft)なるのです。死それ自体は『最大限の狂暴さを以って』(mit hochster Gewalt)告知されます…」(三浦淳史訳)

昨日申し上げた通り、マーラーが「異常なほどこの現世を愛している」、言い換えれば生に執着し死を恐れているというのは、伝記的なことを少し調べれば分かりますし、彼の作曲を聴いても分かります。マーラーブルックナーとは全然違うというのも昨日言いました。

なるほどこの現世を愛する、生に執着し死を恐れるというだけのことならば、誰だってそうだという程度の話かもしれません。ただ、マーラーはその度合いが人並み外れていたということです。それはベルクも「異常なほど」と評していますし、誰でもそう感じるでしょう。