近況アップデート

放送でも喋りましたが、山田花子南条あや二階堂奥歯のことは本とかウエッブサイトでしか知りませんが、特にだめ連が作った早稲田のあかねでは、様々な不幸のかたちを見てきました。もちろん、見ただけです。私にできるようなことは何もなかったし、不幸の理由も特に精神疾患だけではありませんでした。貧困もあれば、家族関係もあれば、とにかくいろいろとあり、しかもそのほとんどすべてが、もう他人にはどうすることができないというようなものでした。なるほど、例えば、こうすれば精神障害者年金を受給できるのではないか、とか、生活保護を受給できるのではないか、とかそのくらいの助言ならばあったでしょう。でも問題は別に経済的なことだけでもありません。それ以外にもまったくどうしようもないということがたくさんあったのです。

トルストイだったでしょうか、幸福な家庭というのは多様性がないが、不幸な家庭のその不幸というのは本当に多様なのだ、というようなことを言いましたけれども、実際人間の不幸の形態を数え上げればきりがないと思います。

『追悼盤──ホロヴィッツ讃──'65 '66 '68ライヴより』("A Tribute to Vladimir Horowitz: Highlights from the Carnegie Hall concerts of 1965, 1966 and 1968")を聴いています。冒頭の、スカルラッティソナタ ホ長調L.23(Domenico Scarlatti: Sonata in E Major, L.23)です。次いで、スカルラッティソナタ ト長調L.335(Domenico Scarlatti: Sonata in G Major, L.335)。

南条あやに戻れば、せっかく苦労して作り上げたはずの「南条あや保護室」というウェッブサイトがどうして閉鎖されてしまったのか理由を知りません。そのウェッブサイトを作りたいというのは彼女の遺志であったはずですし、私もそうですが、そのウェッブサイトの存在に励まされるというような人々も多かっただろうと思います。だから残念に思います。

【この間、超高速でウェッブログを熟読する。】

ウェッブログ「あやちゃん日記」(南条あやさんの日記)を読みました。超高速で過去ログのすべてを読んでしまいました。彼女の父親や師匠のライターのコメントなども含めて全部、あっという間に読みました。結果、どういうことになってしまったのかおおよそ分かってしまいました。それは非常に悲しいことです。憂鬱になってしまうようなことです。

事実関係からいえば、彼女の文章は1998年5月28日に始まっています。ライター(師匠)に彼女がメールを送ったということです。"GON!"(ミリオン出版、98年3月号)の「精神病特集」を読んで彼女は精神病院に行きたいと熱望してしまうようになったのです。私は絶句しましたが、彼女からのメールにライターが「精神科ライフをエンジョイしてる」とかコメントしてしまっています。こういう人が精神医療に関わることは疑問です。

日記そのものは1999年3月17日で終わっています。

彼女の死の具体的な詳細は現在のウェッブログからはまったく不明です。私は消滅したウェッブサイトをよく読んでいましたから、少し分かります。Wikipediaの情報では、彼女は1999年3月30日に死にました。

南条あや
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%9D%A1%E3%81%82%E3%82%84

南条あや保護室」はWikipediaにもあるように、彼女の死後、婚約者であった相馬ヰワヲさん(実名なのかペンネームなのか知りません)と彼女を慕って集まったボランテイアであるABC(Aya's Black Children)が完成させました。ところが、とんでもないトラブルになってしまったようです。

まず、ウェッブサイトの管理権を巡ってトラブルになったようです。そして、彼女の父親と婚約者が対立したようです。それは彼女の詩を巡ってです。父親はそれが捏造されたものではないのかという疑念を持ってしまいました。その疑惑にはとりたてて根拠がないと私個人はそう思いますが。

ウェッブサイトの運営を巡る性的な暴力などもあったようです。そして、南条あやの個人メールが2ちゃんねるにアップされてしまう、といったことにもなったそうです。またABC(Aya's Black Children)のなかで極めてややこしい肉体関係、性関係があり、しかもそのようなことも詳しく2ちゃんねるに書き込まれてしまったようです。

当然ですが、そのようなことは死者には関係がないし、もし死者が知るならば悲しむであろうようなことです。なるほど法律的には、死んだ娘の文章の著作権は父親にある、ということになってしまい、婚約者やABCが排除され、ウェッブサイトが消滅してしまったのは致し方がないのかもしれません。けれども私は疑問です。法的にはどうあれ、南条あや南条あや個人であって、父親の所有物ではありません。それに彼女が書いた文章、テキストを素直に読めば彼女が父親のことで深く苦しんでいたことはすぐに誰にでも分かってしまいます。彼女の詩といわれているものが婚約者の捏造であるとかいうのも、ただのどうしようもない言い掛かりでしかなく、何の合理的な根拠もありません。一番大事なのは、彼女の死を巡る詳細な事実関係がかつてのウェッブサイトにはあったけれども、今公開されているウェッブログを読んでも全く何も分からない、ということです。

久しぶりに南条あやの日記を読みましたが、いろいろと考えることがありました。まず、彼女は非常に普通だと感じました。音楽ではCocco、漫画はねこぢるが趣味の「メンヘラー」がかつて無数に膨大にいたのです。どうして心を病む人々の間でCoccoがあれほどにも人気であったのかということは、Coccoを良いと感じたことが一度もない私には全く理解できません。けれどもそのような人々が無数にいた(もしかしたら、現在でも沢山いるのでしょう)ということは端的に事実だし、そういう人が自殺未遂や自殺既遂を往々にしてしてしまったというのも本当によくあることでした。彼女は90年代後半を生きたそのような人々の一人であったのです。公開されている日記は、1998-1999年のものですが、私もよく覚えており経験がありますが、当時、インターネットは現在のような常時接続ではありませんでした。テレホーダイ(23時以降の定額制)であったのです。彼女もテレホーダイを使っていました。そして、高校生であり高校の授業に出なければならないのに、毎晩深夜3時、4時までインターネットをやってしまっていました。そのようなことがはっきり彼女の日記には書かれています。そしてそれが彼女の健康に一番悪かった、と思います。

彼女は学校でいじめに遭ってしまい、中学1年生からリストカットを始めたとのことですが、もしそうであるならば、高校3年生で精神医療にアクセスするというのはむしろ遅過ぎたくらいだと思います。彼女にとってリストカットはもう嗜癖になってしまっていました。中学1年生から高校3年生までリストカットをやっていたわけですから、段々もっと深く切るというようにもなってしまいました。高校3年生になってしまう前の段階でなんとかならなかったのか、とか思いますが、でもどうにもならなかったのでしょう。

それから、彼女が精神医療を知ったのは、"GON!"という雑誌によってでした。そこに書いていたライターにメールを送ったということから、ライターである「南条あや」が誕生したのです。けれどもそういうことで良かったのかどうかは分かりません。当時彼女は女子高校生でした。私の意見では、まだ子供です。十分な判断能力があったと思いません。彼女は"GON!"を読んで精神病院に行くことを「熱望」してしまうようになったとのことですが、なるほど精神医療にアクセスするということ自体はやるべきであったでしょうが、しかし、精神科の薬物の嗜癖になってしまっただけなのではないでしょうか。嗜癖の対象が手首自傷から薬物(大量摂取、オーヴァードーズ)に変わったというだけだったのではないでしょうか。

南条あやの死の事実が、現在のウェッブログには全くないので、記憶の範囲で書いておきましょう。まず、1999年3月30日の前日、1999年3月29日に彼女は当時の婚約者に「終止符」という詩を送りました。けれども婚約者はそのような自殺の仄めかしは日常茶飯事だったので放置してしまいました。翌日、1999年3月30日、彼女はカラオケボックスでオーヴァードーズし、死体になって発見されました。その詩なるものが婚約者の捏造なのだというのが彼女の父親の意見ですが、しかしどうして婚約者がそのような捏造をしなければならないのか、説得的な論拠は何もないと思います。

彼女の死体は、変死ですので、当然検死されました。解剖もされて調べられたと思います。そのようなことをした医者の意見ではこうでした。彼女が大量服薬、オーヴァードーズした程度の量の薬は全く致死量ではない、あの程度の薬を飲んで死んでしまうなどということは普通はあり得ない、ということです。では、一体何故南条あやは死んだのでしょうか。

検死をした医者の推測では、まず、彼女はオーヴァードーズを無数に繰り返していたから、臓器が全体的に打撃を受けていたのではないか、ということです。そしてリストカットも頻繁でしたから、当然貧血状態で血も足りないし、体力も弱ってしまっています。だから、通常、それで人が死ぬことなどあり得ない程度の服薬によって死んでしまったのではないか、ということでした。そのようなことであれば、もうこれは自殺というよりも事故といったほうがいいようなものです。実際、検死報告書には自殺疑いだったか推定自殺などと書かれていたそうです。

彼女は精神病院に行くことを「熱望」していましたが、しかし、一体何の病気、何の病名によってでしょうか。私に分かる事実は、学校でいじめを受けて中1から手首を切り続けており、段々深く切り出血量も多くなってきてしまった、それでもう高3にもなってしまった、というようなただそれだけのことです。なるほどそれは大変なことではあるでしょう。けれどもそれが特に深刻な病態であるというふうには私には見えません。いじめられたのでリスカに嵌り嗜癖になってしまった、これは不幸かもしれませんが、しかし別に正常であると私は思います。