近況アップデート
さて、私なりに十年前の出来事についておおよそ合理的なのではないかと思える仮説、推測を考えてみました。それはこういうことだったのではないでしょうか。まず、山城さんや柄谷さんが当時Qはそこでしか流通していないというふうに考えた「資本主義の周縁的(マージナル)な部分」とは具体的にどこでしょうか。私の考えでは、それは蛭田さんのアパートです。山城さんや柄谷さんがQのソフトウェアで公開されている具体的な取引履歴を調べてみて、一体何を目撃したでしょうか。それは、Q取引が一番多いのが蛭田さんであり、またQを活発に取引しているのが彼の周辺のNAMの人々、例えば私であるとか、蛭田さんが提供していた「Qアパート」の住人らであり、それ以上でもそれ以下でもないという事実であったでしょう。それで、自分が理念的に考えていたものと全く異なるQの実態を目撃して、柄谷さんはどのように思い、どう考えたでしょうか。まず、当然ですが、これは自分が考えていたようなものでは全くない、こんなはずではなかった、と思ったはずです。そして蛭田さんやNAMの人々がQを使うために相当無理をしているのではないか、ということも公開されている取引履歴を調べておおよそ分かってしまったのではないでしょうか。柄谷さんは、自分一人はQの幻想から醒めたというご自覚でした。そうすると、どういうことになるでしょうか。ご自分のせいで無意味どころか有害な幻想に囚われてしまっているNAMの人々を、彼なりの方法で(はっきりいえば、それが暴力といえるほどの乱暴であったとしても)救済しなければならない、それがそのような幻想を生み出してしまったご自分の責任であるというような誤った正義感に駆られてしまったのではないでしょうか。
そういうわけで彼は「Q患者」「Q病人」を救済しなければならないと考え、Qを潰そうとし、結局、NAMをぶっ壊してしまいました。それは確かにひどいし身勝手ですが、ただ、そうはいっても、そういう柄谷さんが主観的には正義であったことだけは間違いないでしょう。蛭田さんは柄谷さんの熱心な読者で、一般には読めないようなテキストまで読んでいるというほどのファンでした。柄谷さんはそのような人が、自分のせいで、「幻想から醒めた」という自覚からみれば無意味、有害な幻想、信仰、「邪教」に嵌ってしまった、というふうに考えたのではないでしょうか。そのような人々を、彼の主観としては救済、解放しなければならないと考えたのではないでしょうか。
Qを始めて一年経って、ごく一部のNAMの人々しかQを使っていないという事実に、柄谷さんは驚いたでしょうし、また、心底情けないと感じたでしょう。西部さんは数十年掛けてQを育てていけばいい、成長させていけばいいというような考えでしたが、少し気が短いかもしれませんが、柄谷さんはそのようには考えられなかったのではないでしょうか。
十年前の真相、真実といっても、恐らくそれ以上でもそれ以下でもないでしょう。くだらないことなのです。柄谷さんは性急だったかもしれません。もしかしたら、数十年掛けて地域貨幣を育てたい西部さんのほうが正しかったのかもしれません。その西部さんすら、もうQ管理運営委員会をやめてしまったのですから、二人のいずれが正しかったのかはもう分かりません。