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それから言い添えておけば、一般にフーコーの分析は緻密だと思われており、実際にそうなのですが、『知への意志』だけは例外です。別にそれがいい加減だというわけではありません。ただ、フーコー自身がそういっているように、彼は『知への意志』を挑発、「診断」のために書いたのです。挑発的な発言をしてみて世間や読者からどのような反応があるか確かめたかったのです。私が「生政治」を重視する現代イタリアの左翼哲学者達(ネグリヴィルノアガンベン)に懐疑的なのは、コレージュ・ド・フランスの講義録まで考慮すれば話は別ですが、著作というレヴェルでは、生政治とか生権力というのは『知への意志』で一瞬、言及されるだけだからです。でもイタリア人達は生政治の概念を極端に拡張して一般化してしまいました。彼らの著作を読むとまるでフーコーの思想というのはそれだけしかないかの如きです。でも実際には違います。