近況アップデート

Ustreamまで少し時間がありますので、昨日関さんがいらしたので書く余裕がなかったことを少し書きます。「人間不信」についてということですが、人間不信は後期の夏目漱石の文学の主要な主題です。『行人』もそうですが、私はよく知りません。読んだかもしれませんが、忘れてしまいました。だから『こころ』の話をします。それほどたいした話でもありません。

『こころ』には「先生」という人物が出てきます。彼の人間不信は二段階になっています。(1) まず彼は、若い頃親戚に財産を騙し取られてしまい、他人を信じることができなくなりました。けれどもまだ、自分自身のことは信じていました。(2) ところが彼は、「お嬢さん」を巡る三角関係の恋愛で「K」という親友と争い、「K」に残酷な言葉を告げて「K」を自殺させてしまいます。そのことによって彼は自分自身すら信じることができなくなりました。

手元に本がありませんので正確な表現を引用することはできませんが、「先生」は無意識的に自分が動いてしまった、そのことに自分自身驚いた、というような言い方をしていたと思います。彼は「K」と親友だったのですから、もちろん「K」を死に追いやろうなどと思っていたわけではありません。けれども「先生」が、「向上心のないものは馬鹿だ」という「K」自身の言葉を「K」に投げ掛けることによって、「K」は死んでしまいます。

別にその死が「先生」の責任だともいえないと思いますが、彼は深い罪悪感を抱き、抑鬱的になってしまいます。三角関係に勝利したのですから、「お嬢さん」と結婚することができましたが、けれども彼ら夫婦にはどうしても子供ができません。「先生」はそのことを「天罰」と看做しています。自分の過去の罪の天罰だから子供などできるはずがない、と思い込んでしまっているのです。

「先生」は世の中に出て活躍するというようなこともできません。彼は本を読みますが、しかしそれだけです。親戚から財産を騙し取られてしまったとしても、少し金銭が残っていましたから、その貯金を取り崩して奥さん=「お嬢さん」と二人で寂しく細々と暮らしています。

「先生」は死んでしまおうというようなことはずっと考えていたのですが、或る時そのきっかけが与えられます。明治天皇崩御します。そして、乃木大将夫妻が殉死をしてしまいます。「先生」はそれを新聞で読んで知り、「明治の精神」に殉死しようと決意し、実行してしまいます。それが『こころ』という小説の結末です。

もちろん明治の精神に殉死するとかいうのは唐突で抽象的です。だから批評家は構成が破綻しているとかいうのです。そうかもしれません。ただ、私の感想をいえば、明治の精神に殉死するというのは、明治天皇のために死ぬというのとは違うと思います。「先生」は自分が死に追いやった「K」のことを考えていたのではないでしょうか。日本の近代、明治時代には「K」のような過剰に観念的、理想的な人、そうであるがゆえに現実には生きることができないような人が沢山いたのではないでしょうか。「先生」はそれらの人々とともに自分自身も滅びることにしたのではないでしょうか。

『こころ』の話はこれで終わりです。以上をブログに転載してUstreamを放送します。