近況アップデート

私が大澤信亮君のような人に腹を立てるのは、大澤君にとってNAMは知的、思想的な問題でしかない、そういう論じ方、言及の仕方しかしないことです。ただ単に抽象的な「思想」としか考えておらず、しかも自分自身は入らず観察していただけ、でしょう。別にそれでもいいのですが、内部から見える風景は全く違ったものでした。杉原さんが述懐していたような、「明るく純真で眼が輝いていた人々」ではないけれども、別にそんな思想的な尖端的な関心はないような、でも心優しく純真で真面目で倫理的な、そういう人が多かったのです。柳原さんの奥さんとか典型的でしょう。そういう素朴な人々がそれなりに一所懸命やっていたのを、単に柄谷行人以降の批評や思想がどうの、とか言われてしまうと腹が立つというか、「生身の人間がやっていたんだ」とか言いたくなります。