近況アップデート

彼氏が遊びに来ました。カラオケのおばさん連中も来ないし、大学生君も荻窪velvet sunのjam sessionには行かないと電話してきたので、彼氏と二人でのんびり楽しみました。今日は私は、快楽を得ることを自分に許しました。もし死んでしまったら性を楽しむこともできませんからね。普段は彼氏に遠慮したりして自分自身が楽しむことができないことが多いのですが、今日は、楽しんでもいい、と自分で自分を許すことにしました。それはこのところ精神病的な苦痛が余りにひどいので、すこしは快楽でもなければ生きていけない、と思ったからです。実際彼氏と会っている間は楽しかった。しかし、ついさっき彼氏は帰りましたが、彼氏がいなくなった途端、元の精神病状態に逆戻りなのは致し方がないのでしょう。

「今日は私は、快楽を得ることを自分に許しました。」「今日は、楽しんでもいい、と自分で自分を許すことにしました。」→このような発想は、ストイックとか倫理的というのとはちがい、ただ単に病理的だと思います(道徳的マゾヒズム)。普通の人は恋人とのデートを楽しんでいいかどうか、自分で自分に許可を求めたりしません。ただ楽しむだけだし、それでなんの問題もないはずです。そうできないというところが、やはり私は病的だということなのでしょう。