夕方の思索

警察に忠告されたので、船橋市保健所に電話して相談してみましたが、船橋北病院という精神病院を紹介されました。自分は佐々木病院に通っているんだが、そこでは駄目なんですか、と保健所職員に訊いてみたら、どうも佐々木病院にはアルコールの問題を専門に扱う体制がないらしいんですね。だから、船橋北病院に行ってくれと。ただ、今すぐ緊急に行きなさい、という話ではありません。当面、様子を見て、母親の具合、状況が良くないようだったら通院してくださいとのことでした。なので、保健所職員に御礼を述べて電話を切りました。

両親の煙草がないというので、ウエルシアに買い物に行きました。母親は体調が良くないというので私一人で行きました。煙草の他に、マヨネーズ、ケチャップ(いずれもトップバリューの商品)、木綿豆腐を買いました。

久しぶりに津軽三味線の稽古をしました。両親が揃っていたので、演奏を終えて自分の考えを話しましたが、その内容が余りにも暗いので、両親も驚いていたようです。

まず、私が言ったのは、昨日のことにしても自分が悪い、申し訳ない、ということです。そもそも両親が喧嘩になったのは、父親が不機嫌で荒れていたからでしょうが、それも私のせいというか、本を出してきて猛烈に書いているから、なにか有意義なことをやり始めたのかと思ったら、そうではなかった、ということで落胆、幻滅させてしまった。だから父親も厭になったのだろう。そういうふうに考えると、非常に申し訳ないと感じる、と言いました。

それと、母親にせよ、警察の人が来ても、何度も何度も繰り言のように、息子は早稲田大学に行った、大学院にも行った、だから偉い、素晴らしいんだ、と言い続けていたわけですが、そのように言われても私のほうは暗い気持ちにしかなりません。もう何十年も前のことにそれだけ執着してそのことばかり言い続けるというのは、母親にとって人生で良かったことがそれしかなかったのだ、と解釈しました。彼女にとって、自分の息子が早稲田に行ったということは誇りである。しかし、それ以外なにもない。私にせよ、大学、大学院を出た後、なにか立派なことをやったわけでも一切ない。むしろNAMのようなくだらないことしかやっていない。そして現在は、ただのひきこもりである。そうしたことに母親が絶望するのも全く当然だと感じました。だから母親にも謝罪しました。

念のためにいうと、母親と私とでは考え方が全く違います。早稲田大学に行ったことは確かに事実ですが、在学中もそれ以降も、そのことを誇りとか名誉に感じたことは一切ありません。そもそも私は、学歴などになんの興味関心もないし、もし学歴が高ければ偉いなどというならば、東大の連中はもっと偉いという話にしかならないだろうとしか思いません。

大学院にせよ、院にまで行って勉強したから名誉だという気持ちも全くありません。そもそも私は、自分の存在を社会的に葬るために大学院に入ったのだし、自分の計画の通りに研究が終わったら死ぬつもりであった、自殺するつもりであったということは以前書いた通りです。幸か不幸か、大学院を放逐されて計画通りにはならなかったので死ななかったというだけです。そして世間にはドゥルージアンを自称する人が掃いて捨てるほどいるわけですが、彼らに興味を持ったこともありません。例外もいるかもしれませんが、ドゥルージアンを名乗る人の言説には嫌悪、軽蔑しか感じませんでした。現在は研究水準が上がっているかもしれませんが、90年代当時は、本当にどうしようもない議論だな、という感想しかあり得ない議論しかしない「ドゥルージアン」ばかりでした。一人だけいえば、名前は挙げませんが、ドゥルーズのヒューム論の真似をしてくだらないベンサム論を書いた人とか。しかし、彼だけではない。私は基本的にはどんな議論、どんな言説にも寛容であるべきだ、おおらかであるべきだとは思っていますが、しかししょうもない議論に賛同したり心を動かされるということはあり得ません。まあ、先日ジャズ批評家の「理論」をあげつらったときもそうだったかもしれませんが、私は、哲学的、理論的な議論にはシビアな傾向があります。良くないことだと自分で思っているんですが。

あれこれ書きたいことはありますが、どうも纏まらないので、一旦ここで一区切りにしましょう。