朝の思索、続き

鈴木健太郎さんがどこかで書いていたのを読んだのですが、浅田彰が、雨宮処凛は右翼から左翼に転向したんだから、またすぐ右翼に転向するだろう、という意味のことを言っているそうです。私は一般に、誰であれ、転向したり、意見や主張を変えるのは全く自由だと考えますが、それにしても、浅田彰の発言は、もし事実なら(私は浅田を全く読みません)、失礼極まりないですね。

私が思うのは、右翼から左翼に、左翼から右翼に転向したりする、それが変節であるかどうか、不誠実なのかどうか、といったことではないんです。先程も書いた通り、私の意識は、例えば雨宮さんであれば、『すごい生き方』と『生きさせろ』との間に存在する微妙だが決定的な違いに向けられます。つまり、雨宮さんは、社会運動、労働運動、生存運動が「生きづらさ」に関して、素晴らしい救済だと考えるようになった。しかし、本当にそうなのだろうか、というようなことです。

私の狭い経験、知見の範囲では、社会は、「不平等」だとまでは言わないとしても、少なくとも不均質です。社会「一般」なるものがのっぺりと存在しているわけではなく、社会のなかには当然のことながら様々な場があり、どこにいるか(いたか)、によって社会経験というのは全く異なります。

雨宮さんにしても、自殺未遂イベント=「平成のええじゃないか」をやったり(『すごい生き方』p.51-52)、「自傷系サイト」のオフ会に参加したりしている(同書、p.63)。彼女が知っていた人でも、「何人かは自殺したり、自殺か事故かわからない状態で亡くなっていった」(同書、同箇所)。自殺志願者などが集まる「負」のエネルギーに満ちた場所というのが社会には無数にあります。そのような場に関わるなら、死んでいく人に多く出会うのも当然でしょう。私自身の経験でいえば、「あかね」がそうだったでしょうか。勿論、だめ連そのものと交流イヴェントスペースとしてのあかねは別です。しかし、だめ連やその本の流れであかねに来るという人が圧倒的に多かった。彼らは、自分自身は完全に「駄目」であると思い、周り(他人)からもそう思われていた人々でした。だから、だめ連やあかねに救いを求めにきたのです。しかし、残酷なようですが、どこにも救いなどありはしない。あかねの客、利用者のなかには、あかね関係で死んでいった人々の数が余りにも多過ぎてもう、誰が誰だか分からないほどだという人もいます。私が覚えているのは、当時(2003年)あかねを中心的にやっていた、究極Q太郎さんの話です。彼の記憶では、あかねの関係者で最初に死んだのは、柄谷さんのファンだったのでしょうか、「探究」と名乗っていた若者で、彼は自殺だったそうです。

それから、前も書きましたが、大学という同じ場、同じ環境であれ、決して均質ではありません。勿論大学生の大多数はなんの問題もなくそこを通過する。しかし、そうできない人もいる。私は大学では、文学研究会というサークルと芸術ウピョピョン会「狼」というサークルに入っていましたが、文学研究会のほうはなんの問題もなかったが、ウピョピョン会のほうは、精神的にダメージを蒙って抑鬱に陥り、卒業することもままならない、実家に帰ってしまう、という人が多かった。つまり、同じ大学サークルでも、文学研究会とウピョピョン会とでは場として全く均質ではなかった、ということでしょう。