朝の思索

皆様おはようございます。御元気でしょうか。私はといえば、朝から書庫漁りに没頭していました。肝腎の本ならないんですけれど。私は、ホワイトヘッドについて日本語で書かれたもので、市井三郎の『ホワイトヘッドの哲学』(第三文明社・レグルス文庫、1980年)が一番明晰で優れていると思っているんです。ホワイトヘッド関連書は多くありますよ。しかし、私が読む限り、まず、ホワイトヘッドの著作集の邦訳者の多数がそうですが、ホワイトヘッド西田幾多郎とか仏教思想と関連づけようというタイプが非常に多い。私にはよく分かりませんが、確かに『過程と実在』の結論部分が彼なりの神の概念を積極的に語っているのは事実なので(ちなみに、以前、『数学原理(プリンキピア・マティマティカ)』をホワイトヘッドと共に書いたラッセルは、そういうふうに「形而上学」になってしまった晩年のホワイトヘッドが嫌いだったそうです)、京都学派や宗教と結びつけようという発想をする人が多いのは分かります。プロセス学会というのもあったと思うけれど、やはり神というか宗教的な話だったと記憶します。市井さんのホワイトヘッド解説書は一切そういうことがないんです。世俗的、合理的、平明です。ホワイトヘッド自身がそうだったのかということは別にして、私は市井さんのような書き方、考え方に好感を持ちます。

市井三郎(ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E4%BA%95%E4%B8%89%E9%83%8E

市井三郎サイト:市井自主ゼミのホームページ
http://www.ichiisaburo.com/

プリンキピア・マティマティカ(ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%86%E3%83%9E%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AB

それから、ドゥルーズ統合失調症患者に興味がなかったと以前書きましたが、確かめてみたら、正確にはラボルド精神病院に興味関心がなかったということでした。引用してみましょう。

フェリックス・ガタリ、粉川哲夫、杉村昌昭『政治から記号まで 思想の発生現場から』(インパクト出版会)p.137-138

杉村 厳密さと不正確さというのは、必ずしも矛盾することではないという例が多分、ドゥルーズ=ガタリの特徴かもしれない。一見、厳密な概念でずっとやってきた哲学史家のドゥルーズにとって、自分の考えていたことをある種非常に不正確だけれども新しい言葉でガタリが言いあてるという関係。不正確さの持つ力というですか。ダニエル・ルロというラボルドで唯一の女性の精神科医がいますが、彼女は60年代、ちょうどアルジェリア戦争の後くらいに、理論物理学専攻の学生だったとき偶然ガタリに連れられてラボルドに行って、そのままラボルドで医師になったという女性なんです。彼女は理論物理学をやっていたせいもあって概念規定に非常に厳密なライプの精神科医なんです。だから彼女は、ガタリが書いていることは非常に不正確だと言うわけです。それで、彼が唱えるスキゾアナリーズ(この本の中で分裂性分析と訳しいなおしましたけど)って何なんだと、ガタリに聞いたっていうんです。そうしたら、お前が毎日ラボルドでやっていることだと答えたんだって(笑)。そういうアバウトなところが逆に言うと魅力なんだね。

ダニエル・ルロのドクター論文を読ませるためにドゥルーズをラボルドに呼んできたことがあるそうです。その論文をドゥルーズは高く評価したらしいんだけれども、彼にはラボルドには一切興味を示さなかったそうです(笑)。やっぱりドゥルーズの方が現場の科学ではなくて概念の科学への志向が強いんでしょうね。(後略)

(引用終わり)

ダニエル・ルロ Danielle Roulotには、『不可能の風景──精神病の臨床』という論文集があるそうです。Danielle Roulot "Paysage de l'impossible - Clinique des psychoses" Les editions du Champs social, 1999. しかし、その邦訳はありません。我々が日本語で唯一読めるのは、「精神医学の特殊性と非-特殊性──フェリックス・ガタリに」という短いエッセイだけです(フェリックス・ガタリジャン・ウリ、フランソワ・トスケル、高江洲義英、菅原道哉、ダニエル・ルロ、市川信也(写真)『精神の管理社会をどう超えるか? 制度論的精神療法の現場から』杉村昌昭、三脇康生、村澤真保呂(編訳者・解説)、松籟社、2000年4月7日 初版発行、p.281-290)。私は彼女のこのエッセイが非常に好きで、一時期愛読して本当に繰り返し、繰り返し読んでいました。基本的なトーンはとても暗い。しかし、その暗さが好きだったんですね。少しだけ引用しましょう。p.282-283の箇所。

(引用開始)

「生きるということは本当はどのように成り立っているのだろうか?」精神病患者、神経症患者、不安に苛まれる人、あるいは単に人間である人、そういった人たちが私に投げかける根本的問題はこのことにほかならない。

今朝──べつに普通の朝となんらかわりのない朝だが──、そういった人たちのなかの4人が、口をそろえて私にこういった。「私は死ぬ理由よりもたくさんの生きる理由をもっていない」。

世間では「狂人」とされている彼ら、「障害をもった大人」、「欠陥人間」とされ、病院に収容されている彼らは、少なくともそう口にすることができる。私は医者であるが、このセリフを心のなかで言い返してみる。すると、私はリラックスすることができる。少なくとも「彼ら」は、生きているための理由よりもたくさんの死ぬ理由をもっていない(まだ?)のだ……。

彼らの話を聞いていると、ならず者や暴力など、社会学者が「社会現象」と名づけているもののことが、よりよく分かるような気がする……彼らは他者の生がなんの価値ももっていない人びとなのだ。なぜそうなのかというと、彼らの生そのものが彼らの目から見てなんの価値ももっていないからだ。彼らは、彼らの行為によって、「生きるということは本当はどのように成り立っているのだろうか?」という発問をわれわれに投げかけているのだ。彼らもまた、「生きる理由」ではなくて、生が生きるに値するという気持ちそのものを失っているのである。

(引用終了)

もう一ヶ所、p.288-289を引用させてください。長くなりましたので、引用はこれが最後です。

(引用開始)

ウィニコットは、ある遺稿のなかで、ひとりの若い分裂病患者が──彼によると、この女性は自殺したのだが──彼に次のように繰り返し言っていたという話を語っている。「私があなたにお願いしたいことはひとつだけ、私が偽りの理由ではなくて本当の理由で自殺するために私に手をかしてほしいということです」……「私にはそれができなかった」、「そして彼女はついにやむをえず自殺した」と、ウィニコットは言っている。自殺するための「本当の理由」とは何か? 生きるための「本当の理由」とは何か?

さて、ならず者、暴力をふるう者、アルキの二世たち、亡命者の二世たち、この世の生きにくさを告白する勇気をまだもっている人びと、都市郊外の腕白者たち──彼らにとって失業問題はわれわれが彼らの無秩序ぶりを説明するための「理由」でしかなく、それ自体が無秩序の原因であるわけではない──、もはや話すこともできずに絶望を「行動する」だけの人びと、いったい誰が彼らのために話すことができるのだろうか?

(引用終了)

このようなことは、私がしばらく前に書いたことに関わっています。私は、倉数茂さんが『黒揚羽の夏』(ポプラ文庫ピュアフル)を書いたとき、倒錯者(快楽殺人者)の心理がよく分からず苦労したそうだが、しかし、自分には簡単に分かってしまうと言いました。倉数さんの小説のなかで犯人が、毎日生きているだけで地獄だというような感覚が分かるか、と問い掛けていましたが、私には分かるのです。しかし、その小説の主人公である子供達は、そんなもの分かるはずないじゃないか、と応答しました。そのこともよく理解できます。生存は地獄だというような感覚を持つ人を理解できない「健康な」人もいるし、というか、そのような人々が社会の多数派であるのは当然でしょう。もう一つ、私は、社会が不条理、不平等なのはしょうがないんじゃないか、とも言いました。つまり、政治的な改革が解決できる部分もあるが、どうにもならない部分も膨大にある、ということです。雨宮処凛さんのような人が『生きさせろ! 難民化する若者たち』(2007年3月、太田出版)のような本を書いて、それがヒットする、というのは分かります。ただ、私にはどうすれば「生きる」ことができるというのか、全く分からない。社会保障社会福祉が充実すればいいのでしょうか。それは勿論必要です。しかし、そのような、政治的、経済的、社会的なアプローチでは全くどうにもならないこともある。その意味で、私は個人的には雨宮さんの前著『すごい生き方』(2006年1月、サンクチュアリ出版)のほうを評価します。

雨宮処凛公式ホームページ
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雨宮処凛オフィシャルブログ
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雨宮処凛すごい生き方ブログ
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