ジョルジョ・アガンベンによるドゥルーズ追悼文『人間と犬は除いて』(石田靖夫訳)についての覚書

今朝紹介したジョルジョ・アガンベンによるドゥルーズ追悼文『人間と犬は除いて』(石田靖夫訳)、素晴らしいと思いますが、余りにも細かいことなので恐縮なのですが、幾つか言いたいことがあります。(1) アガンベンが書いているのは、1987年春のサン=ドニ大学でのドゥルーズの最終講義の想い出なのですが、ドゥルーズが間違えたのか、アガンベンのメモが誤っているのかは分かりませんが、「観想に関するプラトンの理論」というのは正しくなく、「プロティノスの理論」なのではないでしょうか。(2) self-enjoymentと言い始めたのは、私が知る限り後期になってからなのですが、それを英語で書いているのは、ホワイトヘッドの『過程と実在』の概念だからではないでしょうか。(3) これはアガンベンとは関係がない、『差異と反復』以来のドゥルーズの問題なのですが、(a) プロティノスの新プラトン主義とイギリス経験論になにか関係があるというのは本当にそういえるのでしょうか。(b) サミュエル・バトラーをイギリス経験論者と呼ぶのは、経験論の理解として非常に特殊なのではないでしょうか。『差異と反復』では、ヒュームすら、生命的な過程として解釈されてしまいますが、ヒュームの『人性論』ではそれはあり得ないので、ヒュームならば(プラトン主義的、新プラトン主義的、要するに古代哲学的な)「観照」「観想」ではなく(認識主観による)「観察」と捉えるべきではないでしょうか。