人気の秘密

ニーチェが人気ナンバーワンの哲学者であり、坂口安吾が人気ナンバーワンの文学者であるような流行現象を批判したが、実のところ、彼らの人気には理由がある。それは人々は極端、極限を好むということである。私は地味に地道に、芥川龍之介の短編を読み続けているが、「ちょっといい話」(道徳的お説教も込みの)だとは思うが、それほど偉大な仕事だとは思えない。同様に、哲学の素人が初めて、ルネ・デカルトが「私は考える、私は存在する」(『省察』)を見出したことを知っても、その意義や重要性は分かるまい。「私」など主体というより「主語」に過ぎないというニーチェのほうが現代人の気分にマッチするのは当然である。何故なら、我々は一般にポストモダンと言われるそのような思想状況を生きているのだから。現代人の多くは、精神医学が語る乖離や離人症を自らに親しいものと感受しているのではないか。私は確かに今ここにいるが、しかし同時に、「いない」かのような気分。もっと端的に通俗的に語れば、自分が自分でないかのような気分。無論我々は、ドゥルーズ=ガタリが語るような分裂症ではない。しかしそうであるかのような「気分」が瀰漫している。それがニーチェ安吾が流行していることの背景にあるが、しかしそれは、よく考えてみれば、日本においては第二次世界大戦、太平洋戦争の敗戦以降むしろ一般的な知的状況ではないのか。既に戦前から、旧制高校教養主義を揶揄するのに「デカンショ」(デカルト、カント、ショーペンハウアーの略)と言われていたが、実際に読まれていたのはニーチェであった。(大正期にニーチェ主義の流行があった。)しかし、ニーチェ安吾を批評的に読むとは、そのような惰性を断ち切ることである。