人気ナンバーワンの…

ジャズに舞い戻ってさがゆきさんの『イッツ・ソー・ピースフル』を聴く。坂口安吾芥川龍之介の短編、寓話に近いものを続けて読んだが、安吾が徹底してナンセンスなのに対し、芥川は道徳的な教訓(オチ)を付け加える。考えると『蜘蛛の糸』とかもそうだ。哲学は、例えばヘーゲルの『大論理学』など誰にでも読めるものではないと分かるからいいのだが、文学、小説は誰でも一応は読めるから、読める以上容易にやれると誤解を生む。実際には文学にも向き、不向きがあるし、天賦の才能も必要である。当たり前だが。小説を書くことも労働なのである。

私のスレッドで2ちゃんねらーが、私を、弱者のルサンチマンであり最も非ニーチェ的であると述べているが、別に否定しない。というか、ニーチェの読者がニーチェ的であるとは限らない。ニーチェは、皮肉なことに、人気ナンバーワンの哲学者だという。彼自身は信者を求めなかったし読者も選んだのだが。

私がモンテーニュやルソーに遡行しようと思ったのも、「ニーチェ=人気ナンバーワンの哲学者」的な雰囲気、気分が厭だったからである。確かにカントやドイツ観念論とは違い、ニーチェは読むだけなら読める。が、それは易しいことを意味しない。文学なら読めるから容易だろうというのと同じ誤謬である。

ニーチェ=人気ナンバーワンの哲学者」というのは、私が中学生くらいの頃からずっと続いている坂口安吾ブームを連想させる。「坂口安吾=人気ナンバーワンの文学者」というわけだ。無論それは、安吾的精神が普及したり勝利したことを意味しない。むしろ逆である。著作家と読者の関係は微妙である。