柄谷行人について

NAM解散後数年は、柄谷行人個人に対する強烈な恨みがあったが、今は特にない。何故彼を恨んだかといえば、彼が自分の起草した「原理」を自分で破ったからである。
例えば、NAMは選挙と籤引きで代表者を選ぶのだという大原則。なのに紛争において柄谷行人は、「所詮籤引きで選ばれた代表の癖に偉そうに」と田中正治を非難していたという。壮大なカンチガイというか、一会員の癖に代表以上の権威として振る舞った。
権力と権威ということでいえば、NAMでは権力と権威は分離されていた。権力は、センター評議会とその代表にある。しかし、権威は規約委員会やその議長(柄谷行人)の側にある。
NAMの内紛とは、権力と権威の抗争という側面もあったのであり、著名人が自らの名前の力を誇示するという問題でもあった。
しかし、そうしたこと全ては、過ぎ去った。