パンクロック/フリージャズ/現代音楽

自分のブログにパンクロックやってる人からコメント貰って考えたのですが、「商業性/芸術性、プロ/アマ」という二項対立で考えること自体、閉域で考えることではないか、とも思うのです。
というか、一切の制約がない演奏という意味では、その友人がやってるパンクと、私がやってるフリージャズと、何処が違うのかよく分からない。パンクは、鍵盤楽器の入らない編成で、編成からしてジャズとは違う、というのは分かりますが。
フリージャズといっても、セシル・テイラー系とデレク・ベイリー系はかなり違うとも思うのです。両者が共演したアルバムもありましたが(笑)。デレク・ベイリーは私は実は苦手で、セシルとの共演盤も眠くなってしまったし、ジョン・ゾーンらと共演した『ヤンキース』も「なんじゃこりゃ?」と思ったのです。(『ヤンキース』買って聴いたのは高校生か大学生の頃だから二十年くらい前ですが、当時のまだ若かった(笑)私には理解不可能だった、ということでしょう。)
考えたら現代音楽とフリージャズの境界も曖昧で、高橋悠治のようにジャズメンと共演を繰り返している人もいますね。でも、高橋悠治もジャズを罵倒しているんですよ。全否定している。com-postの往復書簡で後藤さんがアドルノジョン・ケージを批判して、彼らはジャズ耳を持っていなかった、或いはジャズの良い聴き手ではなかったとおっしゃっていますが、同じことが高橋悠治にも言えるでしょう。

ヤンキース

ヤンキース