芸術性と商業性再論

noizさんから昨日のブログにコメントを頂いたりして考えたのだが、私はジャズという閉域だからこそ「芸術性と商業性の相克、矛盾」なんてテーマを考えちゃってしまっているが、noizさんがやってるパンクバンドなんて、最初から商業性考えてないし、既成芸術的な意味での「芸術性」も目指してはいないと思うんだよな。だとしたら何かといえば、言語でいえばエスペラント語みたいなものを目指してるんではないか。エスペラント語で書かれた文学、名前失念したけれども確かあったよね。そのような「オルタナティブな普遍性」を求めているのではないか。
芸術性/商業性、プロ/アマの二項対立そのものが閉域にあり、その外を求めねばならないと思うが、それはデレク・ベイリーエヴァン・パーカーのような一部のフリーの奏者には予感されていたように思う。つか、フリージャズとパンクロックの区別もよーわからんのだが。どっちも調性ないっしょ。「自由」っしょ。
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