虚構と現実

子供の頃、SFと推理小説が好きだった。しかるに、思春期危機(十四歳の頃の「発狂」)以来、現代文学以外受け付けなくなった。
そのことと関係あるか分からぬが、私は一切、虚構が書けなくなった。またしても2ちゃんねるの話で恐縮だが、私について、自己の外部の視点がないので私小説もどきしか書けない、と指摘されていたが、それは正しいと思う。私は常に「自分」とその周りしか書けぬのである。それは致命的な限界だと思う。想像力、構成力…など作家に必要な諸能力を全て欠いているということだからだ。
延々と続く「私」の繰言に、読む人がいるとしてもうんざりしてしまうであろうことは疑いない。ましてや、それが文学なり小説になる(昇華される)こともないだろう。神経症患者のファミリー・ロマンスは芸術作品としての小説にはなれぬのである。そのことを、日々思い知っている。だから、私は、自称ブロガーなのである。私が書けるのは、哲学論文や小説作品ではなく、ブログ記事である。ブログ記事として、十全に自己表現できると感じる。勿論、自己表現などというイデオロギー自体が、最早無効で怪しいという議論は成り立つのだが。
ともかく、私は、自分自身にしか興味がないし、自分自身にまつわるもろもろのことしか書けない。何度も繰り返すが、それが致命的な限界だと思う。両親の願いにも関わらず、私には本格的なものは書けないだろうし、何かの賞を獲ることもあり得ないように思う。そして、そのような辛い断念は両親には永遠に理解されぬのである。彼らは私が、とてつもないものを書くと信じている。しかるに、私はそう信じてはいない。私は単に疲労している。それだけだ。