Q-NAM or Q-L論争再び

Q-NAM紛争のとき柄谷行人が言っていたのは、Qは本人確認が厳格だがLは本人確認など不要だということだった。だが、ちょっと考えてみればわかるが、Qが本人確認が厳格だったのは経済的ツールたることを目指していたから当然であり、例えば銀行で口座を開いたり、証券会社で取引口座を開いたりする時に本人確認書類を送付したり等々しなければならないのと同じである。他方、ポイントカードと変わらないLが本人確認が不要だからといって、そんなのは当たり前で、別に長所でも何でもない。商店がポイントカードを発行するのに一々煩瑣な本人確認をすると考えるほうが馬鹿げている。
要するにLの側からするQ批判は的を外しているというか、本質を見誤ったものでしかなかった。
では何故、Qはうまくいかないのか。私など、破壊者がいたからなのか。しかし、もう十年である。いい加減、そういう負の影響から独立できてもおかしくない。もしQがうまくいっていないとすれば、Qのみならず、地域通貨一般の問題なのだろうと思う。産業に浸透することを目指したQは、いまだその理念を達成していない。だが、貨幣の仮想化等条件が整えば、変わってくるかもしれない。変わらないかもしれない。それはわからない。それはQに残った人の努力次第であろう。
(追記すれば、柄谷行人は自分の本でもLETSについて全く分かっていなかった、という西部忠の批判は結果的に正しかったといえる。Lはマイケル・リントンのLETSに匹敵する発明でも名案でも何でもない。ただの案山子である。理論的にも、ゼロサム原理等、重要とされた論点は無視し去られた。そしてマルクス資本論』なり『経済学批判』なりに基づくと僭称された「理論」が幅を利かせたのである。NAM会員のほぼ全員が、それに従った。それは端的に恥である。マルクスに無知であるのみならず、自分の頭で考えることもできぬ集団だということであったから。)