プレカリアートと精神病

プレカリアートと精神病
二千十年二月五日金曜日
攝津正

精神病と自殺
反貧困ネットから、自殺(予防)に関するアンケートが求められ、私も回答したが、重要なことを書き落としていた。それは私の周りで亡くなった自殺者の方々が全員、精神病者であったということである。統合失調症から躁鬱病鬱病に至るまで様々だが、皆、精神の病いを抱えていた。例えば、あかねのスタッフをしていて亡くなった方がいるのだが、彼は躁鬱病だった。
精神病に罹患していると、自殺のリスクは格段に高まる。かく言う私も、精神病である。精神病者は労働も困難だから、精神病者は野宿者と並んで究極のプレカリアートと言ってもいいかもしれない。私小説『労働』というのを最近書き、そのラストで、語り手の私が自殺を決意し、しかし死に切れずに生きることを選択する、という設定にした。現実そのままなのだが、私も些細なことで自殺を決意し、意志が弱く(?)撤回した。
私の場合、自殺しようと思ったのは、CD購入を巡る家族との諍いがきっかけであった。このように書くと、何と些細なことかと思う人もあるだろうし、実際些細なことなのだが、本人は死ぬしかないと思い詰めているのである。それでいて、一晩寝て翌日になってみると、昨日の苦悶が嘘のようにけろりとしたりしている。病気というのは恐ろしいな、と自分で思ったが、こういう場合病気が死なせようとしているのである。病気による死への招きに抵抗し、生き延びる術を探らねばならない。
で、どうすればいいのかということだが、湯浅誠さんのいう「溜め」を作ることだと思う。具体的には、一人きりにならないように、複数の友人を持つ。それが困難な場合には、病院なり、地域生活支援センターなりに相談するのもいいだろう。ちなみに、私の住む船橋市には、地域生活支援センターオアシスというのがあり、来所相談、電話相談に応じている。地域生活支援センターは、どの地方自治体にもあると思うので、精神病者は活用するといいだろう。

精神病と労働
精神病者が集まる掲示板に、闇の医療相談室というのがある。デス見沢という北海道の精神科医が運営しているのだが、リハビリや就労に関する相談があると、デス見沢は決まって「職親」を勧める。で、この「職親」なるものが本当にいいのか、という話である。
実は無職の頃、私も、保健所や市役所で、職親について問い合わせた。役所の返答は、職親というのは地域によって違いがあり、やっているところとやっていないところがあり、船橋市はやっておらず、やっている地域にしても職種も限られる。賃金も安く交通費も支給されないので、あまりお勧めできない、とのことだった。
私は、精神障害者の作業所で働いたことはないが、作業所には最低賃金は適用されず時給百円二百円の世界である。勿論、これでは到底生活出来ない。障害年金生活保護と併せて生活しているのである。
私の場合、障害年金を受給出来るほど精神病が重篤でなく、持ち家や車があったので生活保護にも該当しなかった。恥を忍んで湯浅さんの「もやい」に生活相談に行ったこともあるのだが、「大変お困りなのは分かりますが、現状で攝津さんに活用いただける制度はありません」と相談員に言われ、大変落ち込んだのを覚えている。
それで日雇い派遣で働き始めたのだが、二日目に労災に遭ってしまった。その経緯については省略するが、日雇い派遣は、それを必要とする人がいるのだとしても、問題が多い働き方だと思う。それは、労働教育が十分になされないという点にある。
その後、私は、フリーター労組の人から紹介された倉庫で倉庫内作業の仕事を始め、現在に至っている(一年半勤務)。知的障害者精神障害者もいる職場で、基本的に福祉的であり、気分が悪い時には早退したりも出来る職場である。
ここでは、時給千円には遠く届かないにせよ、最低賃金以上の時給が支払われるし、様々な配慮もある。だが、私はこのところ調子を崩していて、まともに働けていない。欠勤したり、出勤しても早退したりが続き、今週は一日も一日通しで働けていない。精神病院にも通院して主治医にも相談したのだが、一週間程度休職したらどうかというが、給料も減るからそんなに休めないし一週間休めば快復する保証もない。状況としては、辛かった記憶やきつかった記憶が頭の中でフラッシュバックし、働くのが怖くなってしまうという感じである。香山リカに『就職がこわい』という本があったが、そして私も就職は怖いが、私の場合『労働がこわい』という感じである。「山より大きい猪は出えへん」とも言うし、気楽にやってみようという気持ちになれればいいのだが、病気の時には最悪の結果しか想像できないのである。
薬も効かず、寝ても治らず、どうしたものかと思ったが、些細なことで気分が好転する場合もある。私は、ジャズを聴いて、働こう、という気持ちになれた。勿論、賃労働するのが偉いわけではないが、前向きになれたのは良かったと思う。こういう個人的な体験を話すことが他人の役に立つかどうかは分からないが、書いてみた。

まとめというほどのまとめはないが、皆で知恵を出し合って生き延びる道を探りましょう、ということかな。と思う。