コミュニティ

新宿二丁目は世界最大のゲイタウンである、というような語り方に対して、海外を知る人はよく反論してこう言う。例えばアメリカのサンフランシスコなどは、産業や事業、生活、政治においても性的少数者である人達が公然と活動しているのに対し、二丁目は飲み屋街でしかない、そういう違いがある、と。つまり、新宿二丁目が「コミュニティ」かどうか、ということに対して、議論があるのだ。

私自身は、貧困、精神病その他の理由で、二丁目にはほとんど行かない。が、思春期の頃新宿に強烈な憧れを抱いていたことを今でもよく覚えている。子ども心に新宿の街は、欲望や性が解放された自由な場所に思えたのだ。勿論今は、そんなに単純には割り切っていない。新宿二丁目であからさまに機能し貫徹しているのが資本の論理でしかないことに自覚的だし、批判的だ。だが今なお、憧れの気持ちの残滓はあるのだ。何故なら、インターネットで可能な出会いなどは限られているから。

キース・ヴィンセントと個人的に会話した時、私は晩年のミシェル・フーコーについて語った。

同性愛と生存の美学

同性愛と生存の美学

上記で語られている新たな「生の様式」の発明が、単に個人的なものであるのみならず集団的なものでもあること、発明はコミュニティ創出的であることなどを私は語ったのである。今でも基本的にはその立場は変わらないが、ドゥルーズ=ガタリを参照して、問題は特異性──個人/集団といった対立に関して無差別的で中立であるような──の発明なのだと考える。

フランスで抑圧された同性愛者であったフーコーは、アメリカのゲイカルチャーに触れて衝撃を受ける。そこでのハッテンやSM、フィストファック等々の新たな文化的習慣に触発される。アメリカが好きで、自分はジャンクフードを食べていてもいい、などと語ったフーコーが好きだ。フーコーは若い頃情緒不安定で自殺未遂を繰り返すような、今でいう「生きづらさ系」の最先端みたいな存在だった。それが、他の誰よりも陽気な、ニーチェ的肯定の哲学者になるというのはまさに驚きだし、素晴らしいことだ。勿論、明るい側面だけではない。フーコーの元恋人だった現代音楽家は自殺しているはずだ。