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「限界労働」を問い直すということはRAMカタログをやり直す(反復する)ということ、自己流のRAMをやろうとすることだといえると思います。

私はRAMカタログの言説全般が、岡崎乾二郎さんが「天才」だという規定のもとにのみ成り立つ言説のような気がしています。そのような言説も必要かもしれませんが、匿名の無名人の紡ぐ共同体創出的な発明やランダムな実践も必要だと感じています。

RAMとは岡崎さんの固有性=特異性、固有名に全面的に依存した場でしかありません。しかしRAM的なものが必ずそうでなければならない必然性はない、と私は思うのです。全世界に伝播増殖する複数・多数・無数のRAM的なものは、岡崎さんの固有名に縛られることなく、独自の運動を続けていくに違いないと夢想してもいます。

要するに、私はRAMカタログを作りたいのです。今でもその課題に執着しています。