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> た る ばさん

http://www.eris.ais.ne.jp/~fralippo/module/Authors/index.html
RAMモジュールのサイトの「「限界」の技術へ向けて セキュリティ部族社会を脱するための」と題されたエッセイを読むととても示唆的なのですが、私たちは「限界労働」という概念を必要としているのではないでしょうか。そしてそこには、LETSその他のオルタナティヴ貨幣の問いも回帰してくるようにおもえます。RAM箴言集でいえば、「私は…である」というプロの論理で提供されるモノ・サービスではなく、「私は…になる」という生成の論理で提供されるモノ・サービスが問題になる、ということです。

たとえば私は職場でホームページ作成を担当していますが、ホームページ作成のプロでは勿論ありません。初歩的なhtmlを知っている程度の人間です。そのような人間が、ホームページ作成というスキルともいえぬスキルを提供して日銭を稼いでいる。また、ワードの差込印刷をするのも私には難儀なのですが、それでもそれを「答えてネット」http://www.kotaete-net.net/に質問したりしながらなんとかこなしてお給料を貰っているわけです。それすら危うくなり、上司から半・解雇を言い渡されてしまったという現状です。この、スキルの身につかなさ、「プロ」へのなれなさ、中途半端さ、強度の低さにおいて、私の労働は「限界労働」だと感じています。「限界労働」(パート・アルバイト)から「賃労働」(正社員)へと移行できるか否か、が今の私に突きつけられた問題性なのだと感じています。