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> た る ばさん
マルチチュード』、『マルチチュードの文法』、『自由論』などを読んでいると、現代の労働形態が変化して、頭脳労働と呼ばれるものに変容していること、そして労働がパフォーマンスに限りなく近づくことなどが書かれています。でも、労働はパフォーマンスでも芸術活動でも、スポーツでもないわけで、現実には労働力減らし、人減らし、排除されるべき「使い道のない過剰人口」の創出(第一世界内部での第三世界化)という方向に資本と国家の結合体は進んでいこうとしているわけです。端的に言って、「要らないよ」と言われているわけです。そうしたなかで「特異化」や「自己価値化」を行うのはとても難しいことだと感じます。万人が芸術家やスポーツ選手や科学者にならなければならないということではないんだと思うんです。スキルの低い、相対的に「ダメ」な者ら(私を含む)でも生きていける社会を望みます。