京都会議以後の私

京都会議以後、私は、Q-hiveでQ-hiveの人間化-民主化(登記人への配慮)とNAM化(くじ引きの導入)を主張していく。それは主には、京都会議直後にNAM東京メンバーで結成した「amour-q」というグループの提案を基にしていた。

そのこと自体には、私は問題なかったと思う。Q管理運営委員会で議論して決めればいいことだったから。ただ当時の私には「造反有理」的な勢いと無鉄砲さがあって…。それは西部忠糾弾(「NAMから離反した」)に最も典型的に現れていた、と思う。

私が明らかに道義的にまずい行動を取ったのは、「超規約的措置」提案──NAM会員のQ管理運営委員の大量退職を促した措置、及び、自分自身の退職においてだった。それはQ管理運営委員会内のルールを破る行為だった。

批判された通り、改革を提案していたのに、何の責任も取らずに辞めてしまったというのは、無責任の謗りを免れない。当時いろいろと事情(NAM内の事情)があったのではあるが、それを斟酌しても、やはり私は無責任であり非道義的だったと思う。

その失敗を自省せず西部忠を憎むなど、倒錯も甚だしいといえばそうなのだが、2003年当時はそのことに気付く余裕がなかった。Q幹部の裏切り=改革の失敗という図式で考えていて、自分らがNAMの都合に合わせてQ-hiveから逃げ出した責任については考えていなかった。都合良すぎる態度といわれても仕方ないと思う。

纏めると、

  • 京都会議後、9月は「よりNAM的なQ」(Q改革)を目指してMLで論陣を張った。
  • 10月は、NAMのQ放棄を防ごうと、根回しや懇願を行った。
  • 11月には、「超規約的措置」を提案して大量退職を促し、自分自身Qから逃げ出してしまった。

一貫性のなさを責められても仕方のない経緯であり、私は迷惑を掛けたQ管理運営委員及びQ会員に謝罪したいと思う。