柄谷西部論争

京都会議の翌日、事件は起こった。柄谷行人近畿大学人文科学研究所所長)が、西部忠北海道大学)に対し、市民通貨共同研究プロジェクトへの招聘を一方的に断わったのだ。

http://www.q-project.org/q_kyoto8.html

西部忠はそれに怒ってNAMを退会してしまう。その朝、私は西部に電話してNAM退会を思いとどまるよう説得したが、西部の決心を変えることはできなかった。

柄谷の行為は、西部の職業上の信用を失墜させる可能性のあるものであった故に、この出来事以降西部の対応は頑なになっていく。柄谷のこの行為に対し、「Q管理運営委員会として」対応すべきだと強硬に主張するようになる。私は、それに対し、大学間の問題として処理してほしい、Q管理運営委員会が扱うのは無理だと当時言っていた。西部は、自分がQ代表であったが故に蒙ったことなのだから、Q-hiveとして対応すべきだという意見だった。