おはよう、セカイ。

おはよう、セカイ。

といっても、今日はもう午前1時からずっと起きている。気付けばほとんど徹夜でインターネット、Facebookをやっている。リチャード・コシミズ関係の陰謀論支持者を罵倒して喧嘩するところから始め、「世界統治者」尾崎全紀やその取り巻きの菅真美……。最大級の皮肉をお見舞いしたが、彼らに何を申し上げたのかあっという間に忘れた。

その後は選挙についての分析に没頭していた。我ながら何をやっているんだという感じだが。3、4時間くらい書き続けていたのではないか? それはそうだが、やはり何を書いたのかすぐに忘れてしまった。

今しがたシャワーを浴びて着替え、大雨になる前に八柱の千葉県立西部図書館に行ってこようかと思った。だがしかし、荷造りした直後にやめた。そして、『ディジー・ガレスピー・ストーリー』を聴きながら涼しい格好で休んでいる。

今日も予定は何もない。

のんびり過ごす

僕は日常生活はのどかなのだと信じる者だが、のどかに暮らせないようないろいろなことが侵入してくる。まあいろいろなことがあるわけだが。そんないろいろなことは措いておいて、とりあえず軽く食事をして冷水シャワーを浴びた。県立図書館に行こうと思ったが、悪天候と金欠でやめた。手持ちの金銭は母親に渡した。木曜日、また土曜日にレッスンの月謝が入ってきたらもろもろの支払いである。土曜日の夕方、日比谷野外音楽堂渡辺貞夫だか山下洋輔だかを観に行くつもりだが、お金がなければ行かないかもしれない。

何度も何度も申し上げているように僕はのんびりと暮らしているのだが、3.11以降の脱原発情報が厭でも耳に入ってくるが、そのかなりの割合を目を疑うようなものが占めている。それはもういろいろとあるが、一例を挙げれば、僕の非常に乏しく限られた科学についての知識からは、今の技術で人工地震兵器などは不可能だし、大震災の前に政府が確実に予知することなどもできないと思うのだが。意味不明な「真実」とやらの数々はそれに留まらない。

先日のチェルノブイリの何とか博士がどうのこうのにしても、ま、僕は専門家ではないから立ち入ったことは控えるが、自分に分かるのは、自分自身や家族に目立った変化はなく、どうもご近所でも何か特別にという話は聞かないということくらいだが、どうやら一部の脱原発情報ではとんでもないことにされている。千葉でも東京でも皆さん甲状腺異常や癌を発病して病院は行列ができて順番待ち、満杯でみんな次々に亡くなっているとか。まあまことしやかな都市伝説だが、僕が知る限りそういうことは一切ないのだが、確かに経験知とか日常というものの範囲は狭い。狭くて偏っているから絶対確実な保証なんかないが、ではそうすると、大規模な社会調査や統計その他によって異常や異変が確認されているのだろうか。これはもう政府や大学、社会学者などの仕事である。と、いつものことながら専門家任せ、あなた任せですいませんね。何しろ「市民」を自称する皆さんがことごとくどうかしているものですから。

冷房を入れようと思ったが、意外に涼しいからやめておいた。セロニアス・モンク・クァルテットの『ストレート、ノー・チェイサー』を掛けている。これで3時くらいまで寛いで、それから船橋市の図書館に行くかピアノでも弾くか決める。

それにしても世の中は、人間性はもともと非合理だとは思うが、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。

冷水シャワー

今日は図書館に行かず、自宅で過ごしていたが、今週は木曜日から土曜日までレッスンで、そうすると今日を含めて週の前半はのんびりだが、真夏だし暑いから、何度か冷水シャワーを浴びてさっぱりし、それから出たらノートパソコンでブログを更新している。その合間には音楽を聴きながらFacebookをやっているが、そちらは基本的にリンクのシェアと短文である。ま、皆さんの奇特な意見に呆れたり、何だこれはということばかりだが、僕からみればこういうことでは運動や革新政党エコロジー政党を多数の国民が支持しないのもむべなるかな、と思わざるを得ない。例えば今の日本の政治がおかしいからといって、「純粋な日本人」以外のわけのわからぬ闇の勢力から狙われているなどと思うのは頭がどうかした連中だけである。そういうものを一笑に付す人々のほうが圧倒的に普通で健全なのだ。その感覚がわからないなら政治や運動など絶対にやめておくべきだろう。なぜならば、あなたのおっしゃるその「真実」などは実はただ単なる妄想だからです。虚偽です。それだけです。そんな愚劣なものを世の中に拡散しないで下さい。それだけです。

僕はそう思うが、民主党の混乱、菅元総理に離党勧告するとかしないとか、また社民党などにあれこれ気になって仕方がないが、僕はどこかの党に入党したり参加したりする選択はこれまでしてこなかったし、これからもしないのだから、と割り切って冷ややかに考える。僕は船橋の豚だと申し上げているが、要するに静かな街で静かに暮らしている。日常的な人です。それだけです。生活保守主義という最も軽蔑に値するイデオロギーの持ち主だ。暢気暮らしというか。危機意識ゼロだが、だってあなたのいう危機なんて妄想なんだから当然じゃないか。

ということだったんだけど、ま、音楽を聴いて。読書は余りはかどらないが、ブログ書いたりFacebookとか。このところ疲れるからTwitterは余り見ないのですが。そういや今日は余りピアノも弾いてなかったな。疲れているし、体調も良くないから少し休んでいるのだ。今朝(?)も午前1時からずっと起きていたしね。さっきも書いたと思うが、起きてネット覗いた瞬間にコシミズがどうのという恐ろしく狂った投稿を読んでうんざりしたよ。世の中っていうのは今そうなんだ。だが、そういう連中には断乎とした否定を突きつけて、自らの信じる正気の道を歩むべきである。僕はそう思う。

エヴァンスを聴く

いやはや、午前1時からずっと起きているし、今日もあれこれ本当に厭なことばかりあったから……。だから体調が悪いが、とりあえず冷水シャワーを浴びてみた。そして冷房に当たって。ビル・エヴァンスの『シンス・ウィ・メット』を聴いている。実に美しい音楽だし、美しい音楽を聴くのは実にいいことだ。「唯一」いいことだとも申し上げたくなる。

Facebookが中心だが、ネットを覗くともう堪え難いほどうんざりするが、活動家の意見を読むからだが……だとすると、何かが根本的に間違っている。通常世間では、政治的関心や社会的関心を持つべきだとされているが、僕はどうも違うと思う。政治や運動が好きなのでなければ、する必要がない気苦労を背負い込むだけだ。基本的に市民参加の民主主義もいいのか悪いのか分からないが、世の中にちょっと興味関心を持っても必ずロクなことにならないというのが僕の経験則だ。ま、個人の意見だし、皆さんは違うかもしれないが。僕はそう思っているという意味です。

さて、やはり数時間Facebookに自分の意見を纏めて述べたのだが、しかし、何を書いたのだか……。うっすらとは覚えているが、再構成するのは容易ではない。だが、恐らく何度書いても不変だが。頑固な意見があるのです。ややこしいことは全部抜きにして簡単に要点と結論だけ申し上げれば、3.11以降皆さんは一体どうしてしまったんでしょうかね? ちょっとどうかと思う御意見ばかりだ。震災と原発事故は端的に不幸であり、エコロジストだろうとチェルノブイリ以来の反原発脱原発であれ、誰にとっても機会・好機・チャンスであったはずがない。むしろとんでもないことになってきている。しばしばピンチをチャンスに転化せよなどと言われるが、恐らくは逆もまた真なのだ。一見チャンスに見えるものは、たぶん、とんでもなく深い危機なのです。僕はそう思う。