悪夢のかたち

眠ろうとしたが、実に恐ろしい悪夢の数々、金縛り、幻覚などに襲われて1時間で目醒めた。正直、「目が醒めて本当に良かった」と思った。

まず私が見たのは、両親が酔っ払って喧嘩しており、父親が何が私について悪態をついている、という夢で、最初私はこれは夢ではなく現実だと思っていた。だが、両親ももう既に寝入っているはずの深夜にいきなりそういうことになるのはおかしいと思い、夢の中でよく検討してみると、「これは夢だ」、と気付いた。

だが、それだけではなかった。まだ目醒めることはできず、もっと恐ろしい夢が待っていた。その内容は「死者達が蘇ってくる」、というもので、夢の中で私はFacebookを開いていた(そういうことが最近多い)。理由は分からないが、名前も知らない大量の人々が私の記事を読みに来て、それだけならまだしもいいが、「既に死んだはずだ」と知っている人々、死んでしまっているのに、SNSを退会できなかったから、Facebookに残っている人々から「あいさつ」が届くのではないか、という激しい恐怖に襲われた。そして、実際、そういう「あいさつ」は今にもやってきそうであり、私は夢の中で恐怖に打ち震えていた。

夢・幻覚はまだ続いた。今度は蚊に襲われる、というもので、これは夢だか現実だか分からないが、それを振り払うのが非常に大変だった。

恐怖はこれからが本番だった。とんでもなく苦しい金縛りが始まったのである。私はこれは夢であり、金縛りだと分かっていた。だが、それを振り払うことがどうしてもできなかった。

私は無理やりに目を開き、起き上がろうとした。それを実行したが、実は、まだ悪夢の中であった。鮮明に覚えているが、激しく眩暈がして動揺し、視野は奇妙にも狭い。ふらつき、倒れ込んでしまう。これは「夢から目が醒めたという夢」だったのだ。

「起き上がる」ことができず、また倒れ込んだが、そうすると、非常に苦痛な、或いは少なくとも奇妙な身体感覚が襲ってきた。今にも「幽体離脱」しそうというか、暴力的に魂(そんなものがあるのかどうか知らないが)が身体から分離させられそうな感覚だ。

そういう恐ろしい状態が暫く続き、知覚が不気味に変容し続けた。身体の内的な感覚がおかしいだけではなく、死者が蘇ってくるのだという観念が私を非常に苦しめた。

私は死を覚悟した。というのは、私が(たとえ夢、金縛りのなかでであれ)執拗に観察する、知覚(視野)、身体の内的感覚が余りにも強烈で異常だったので、この動揺をこのまま放置して、一線を越えれば、恐らく「脳溢血」などで死亡するのではないか、と推測したからである。

そういうとんでもない状況で、私は、くだらない理性主義者だが、自分の「理性」だけを頼りにした。というのは、感覚・知覚がどれほど恐ろしく強烈に変容してしまおうと、それを最後まで──最後というのは、目覚めるか、死ぬか、そのいずれかである、という意味だが──観察し認識し続けることならできるのではないのか、と思ったからである。

どのくらい長く続いたのか分からないが、夢は別の場面に唐突に移った。私はどこかの部屋で別の男性と激しく性交していた。私にはそれが夢なのか空想なのか、自分でも理解できなかった。

そして目醒めた。恐る恐る目を開くと、いつもと変わらぬ私の寝室がそこにあった。視野も正常だし、恐ろしい感覚も去っていた。要するに、日常に復帰したのである。それは良かったが、今日は1時間しか寝ていないのに、恐怖のせいで、今晩はもう眠れない、と思った。

目醒めた私が思い出したのは、子供の頃「幽霊を確かに見た」経験である。あの晩も、今しがたと同じ悪夢・金縛り・幻覚だったのであろう。だが、幼かった私には、理性に頼り観察し続けるという対抗手段を持ち併せず、死者達、悪魔達、或いはそういうイマージュを借りて扮装した何者かの恐ろしい言動に悩まされ続けたのである。

言葉と現実

メモ風に書いてみる。

言葉と現実。理論と(社会的な)現実、実在。ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』における「スキゾ」、同性愛、「横断性愛(「トランスセクシュアル」が、こう訳されている)。吉本隆明の語る「同性愛」、「ひきこもり」、「子供に死なれた親」など。浅田彰と「逃走」=「逃げろや逃げろ」、バクセクシュアリティ、「n個の性」、「スキゾとパラノ」など。

ガタリ精神科医ではなくても、精神病院に勤務していたから実際の分裂病者を多少知っていたと思うが、ドゥルーズはそうではないし、どうも彼は「アントナン・アルトー」にしか興味がないのではないか、と私は疑っている。彼は『アンチ・オイディプス』の最良の文は、「我々は、分裂病患者を見たことがない」というものだといっていたが、「一体何をいっているのか」というくらいである。

それから、70年代のフランスの現実としては、ドラァグクィーン、派手に女装したゲイ(フランス語では"folle"、直訳では「狂女」の意味)がドゥルーズの授業に大挙して押し寄せ、「自分達こそ女性への生成変化を体現している」と主張したそうだが、どうみてもただの誤解である。

同性愛の批評家からの批判へのドゥルーズの反批判が『記号と事件』に収録されており、その批評家の批判は無意味・無内容なくだらないものだったらしいが、それでも、マイノリティ当事者の現実を少しも知らなくてもいい、と平然としているドゥルーズは問題である。

吉本隆明については、1980年代彼は、同性愛は「浮遊した性」だと主張して、伏見憲明から何をわけのわからぬことをいっているのか、と批判されていたが、吉本もやはり同性愛(者)のことなど少しも知らなかったはずだ。吉本は『ひきこもれ』でひきこもりを讃美したが、彼に分かっていなかったのは、「一人の時間を持つのは重要だ」というようなそれ自体は正しい一般論と「社会的ひきこもり」という現実の深刻さの乖離である。また、「子供に自殺された親は、子供の死は親の代理死なのだから、遺された親は市民運動などやるべきではない」などという無根拠な根も葉もない主張は、どうだろうか。

浅田彰は、ひびのまことのウェッブサイトに、バイセクシュアリティを肯定した初期の理論家として名前が挙げられているが、彼は、エッセイで、人間の性はバイセクシュアルが基本なのではないか、と3行くらい書いただけで、その彼がどうしてバイセクシュアル理論家だという話になっているのか、私にはさっぱり理解できない。

miyaさんの御意見に触発されての、私の感想

com-postでのmiyaさんの御意見を拝読して、反論というわけではなく、私自身の考え方を説明しておこうと思う。それは、歴史、死者、記憶、記録などについてどう考えているのか、ということである。

音楽、ジャズに限らずありとあらゆる事柄についてそうだが、歴史上の出来事は全て一回的であり、絶対に二度と繰り返すことができない、というのが、私の基本的な発想である。小林秀雄が何処かで「歴史とは死んだ子供を追憶する母親の思いである」という意味のことを書いていたし、「死児の歳を数える」という諺もあるが、そのようなものである。

そういう私からみれば、一回的であり、演奏されれば(パフォーマンスされれば)その瞬間に消え去り、逃れ去ってしまい、二度と取り戻すことができないのは、何もエリック・ドルフィーバスクラリネット演奏だけではない。ミシェル・フーコーがいうのとは異なり、歴史、世界史には、記録されることのない無数の膨大な出来事があり経験があるのだ。ジョルジ・バークリに戻り──このバークリの問いを20世紀に強制収容所問題と関連づけてリオタールが問い直したが──、もし誰も知覚する人間のいない山中で一本の樹木が倒れたとすると、その出来事はどういうステータスのものなのか、というようなこともある。感覚・知覚されない、より一般的にいえば知られることのない、認識されることのない事件、事象、出来事も、客観的にいえば「ある」だろうが、しかしながら、それは誰かに知られることはない──そうだとすると、事実上、「なかったのと同じ」なのではないのか?

このような発想法自体が近代的な「倒錯」だというmiyaさんの御意見について私なりにちょっと考えてみたが、「歴史の一回性、反復不可能性」が近代の偏見である可能性はあると思う。一旦演奏された音、音響が物理的に消え去るのは客観的な事実だが、かつては「反復的、循環的な時間性」が存在していた。それは、「今こここの一回」の創造性、個性の表現などといった範疇ではなく、「同じような演奏を、儀礼のように、或いは儀礼として、日々果てしもなく繰り返す」というような共同体的な経験である。そういう濃密な感情的共同体を喪失したからこそ、我々は演奏の「一回性」にこだわるようになったし、また、CDのような客観的、物理的、技術的記録に全面的に依存するようになったのだ。ここで重要なのは、「そうではない」芸術経験の場がかつて莫大に開かれていたし、2012年の現在でさえもそうである地域は世界中に幾らでもあるのではないのか、ということである。

以上がさしあたりの私の感想である。

http://com-post.jp/index.php?itemid=637

チャーリー・パーカー中山康樹氏のあのヒットシリーズを生んだ
miya: これは批判でもなければ、反論でもありません。摂津さん、後藤さんを中心とする掲示板の方々とのささやかな対話の試みです。

ひとつの意味はもうひとつの他者の意味と出会い、触れ合うことで、みずからの深みを明らかにする。両者のあいだでいわば対話がはじまるのであり、この対話が意味や文化の一面性を克服する(ミハイル・バフチーン)

摂津さんの問いかけが私の真意を明らかにするきっかけとなりました。摂津さんには感謝しております。

その摂津さんに敬意を表し、まず彼の問いかけについて私の意見を明らかにしていきたいと思います。すべての始まりは摂津さんの「ジャズの美学の成立の困難」という投稿にあると私は見ました。なぜなら、それは「think」や「往復書簡」の試みに対する根本的な懐疑の表明であり、その中にすでに「構造主義的な分析」の不可能性も表明されており、その線にそって「往復書簡」に対する一連の批判が展開されているからです。ちなみに私はジャズの構造主義的な分析など一度も考えたことはありません。そういう考え方は少し苦手なので、私には手に余る話なのです(音楽の感動を数理や構造で表せるわけはないという点では摂津さん、後藤さんと同じ気持ちです)。

ただ一般的な話として音楽の構造分析はごく普通に行われていると思います。リズムの拍節構造やメロディのゲシュタルト解析は情報理工系の大学の研究室で音楽情報処理という名目で盛んに行われています。「音楽情報処理 ソシュール」とネットで検索すれば、ソシュールの考え方を音楽情報処理に援用する試みも多数紹介されています。もう一度言いますが、私自身こういう情報理工系の試みには関心がありませんので、もし音楽の「構造主義的な分析」の可能性について疑問があれば、ご自身でお調べになられてはいかがでしょうか? 新たな発見があるかも知れません。門外漢で関心もない私としては、この件に関してはここまでです。音楽の構造分析は音楽ソフトの開発などに応用されているようですよ。

閑話休題。話を戻します。私はやはり私らしいやり方で、摂津さんのご意見にきちんと対応させていただきます。摂津さんの「ジャズ美学の成立の困難」を拝見して、まず思ったことは、このお話には根本的な「転倒」が幾つか隠されているのではないか?ということでした。たとえば、摂津さんはチャーリー・パーカーを例にあげて次のように述べています。

我々が彼のライブの一端を窺い知ることができるのは、ほとんど偏執狂的なファン・マニアがいて、パーカーの行くところ全てに録音マイクを持ってついていったからです。その成果が「パーフェクト・コンプリート・コレクション」です。そのようなものがなければ、我々は、サヴォイ、ダイアル、ヴァーヴの公式録音でしかパーカーを知り得なかったわけです。仮にそうであっても、パーカーが偉大であることに変わりはないでしょうが、パーカーのイメージは相当違ったものになっていたでしょう。

ジャズの記録保存の重要性をパーカーを例にあげて訴えて、一見なにも問題のない穏当な意見のように思えます。

私が気になったことは意外かもしれませんが“ほとんど偏執狂的なファン・マニアがいて”という何気ない一節です。ここにモダンジャズの美学を開く鍵があります。パーカーの全録音を試みた者は一人ではありませんでした。複数の者がおり、彼らは別に「偏執狂的」では決してなかった…。ここからはじめることにいたしましょう。

複数の者たちとは、Dean Benedetti、Bob Redcrossのことです。この二人が代表的なパーカーの録音を試みた男たちで、摂津さんのおっしゃる通り、パーカーの行くところ、どこへでも出向いて重い録音機材を抱えてついて行ったそうです。この二人以外にも、Jimmy Knepper や Joe Maini などパーカーの演奏があれば出かけていって録音していた者は複数いたそうです。また、これはこの話の今後の展開において興味深いことですが、彼らの多くがサックス奏者だったとのことです(上にあげたDean、Jimmy、Joeの3人)。彼らのパーカー録音の一部はコピーされ、多くのサックス奏者へと流通していったとも言われています。

ここにささやかな疑問が一つあります。チャーリー・パーカーが出現すると同時になぜ全録音を試みずにはいられない「偏執狂」が複数も現れたか?です。たまたま「偏執狂」の当たり年だったのか(笑)? パーカーの演奏がそれほど凄かったからか? パーカーが凄かったというのはよく分かりますが、この件の本質はそういうことではなく、私はパーカーの演奏スタイル自体に実は全録音を誘発する要素があったとにらんでいます。パーカーの演奏にはそれまでのジャズにはない大きな「質」的変化があったのだと…。これは実証することはできませんが、パーカーのジャズに感動した体験をもっている人ならば、誰でも明証的にわかっていることです。パーカーは一度として同じように演奏しませんでした。彼にどれだけのストックフレーズがあったのか想像できませんが、ただ聴いている感触としては単にストックしたフレーズを取り出しているという感じは全然しません。まさに事件は現場で起こっているのです。今、フレーズが彼の中から次々と湧き起こっているような感覚があります…。

後藤さんの「ジャズ耳の鍛え方」から引用させていただければこんな感じ。

彼の極端に跳躍するギザギザしたフレーズは、独特の鞭がしなるような抑揚を持っているので聴き手に異様なスピード感を感じさせ、展開が読めないところから「今ここで起こっている出来事」に臨場している、ドキュメンタリー的な迫真性をもって迫ってくるのです。もとがSPのチープな音質ですらこうしたことが聴き取れるのですから、ナマでパーカーを聴いた当時の聴衆の興奮はいかばかりか。

この“「今ここで起こっている出来事」に臨場している、ドキュメンタリー的な迫真性”、これこそが、あの男たちに全録音を決意させた動機にほかなりません。今、録音しておかなければ、あの凄まじい演奏はそのまま虚空へと消え去ってしまうという切迫感、これが男たちを全録音する衝動へと駆り立てていた原因に違いありません。

こういう衝動に駆り立てたジャズが、というよりも、こういう聴き方を要求する音楽がチャーリー・パーカー以前に存在したかどうか? ポピュラー音楽の歴史を考えてみても、多分なかったのではないでしょうか? これはモダンジャズという音楽のもつ著しい特質の一つと私は考えます。

すべてを聴く必要が生じるようなそんな聴取の仕方や聴取スタイルは少なくともジャズの歴史においては、チャーリー・パーカーからはじまったと私は確信しています。パーカー以前にはそのような聴取の仕方は存在していません。たとえば、ビックス・バイダーベック(好き!)の演奏の録音を収集しようとするマニアはいたかも知れませんし、いたとは思いますが、仮にこのような類似するようなケースがあったとしてもその意義はだいぶ異なっているように感じます。問題はあくまで演奏の「質」的な変化であり、それに伴う聴取の仕方の変化なのです。

ここでこの投稿のタイトルが「チャーリー・パーカー中山康樹氏のあのヒットシリーズを生んだ」である理由が明らかにされるわけです。それはもちろん“〜を聴け!”シリーズです。中山氏のライフワークとも言える「マイルスを聴け!」を代表とするこのシリーズにかくも説得力があるのは、そのミュージシャンの最初の録音から最後の録音まで、とにかく聴けるかぎりすべて聴くという方法論がモダンジャズという音楽のもつスタイル(とそれが与える美的体験のあり方)によく適合しているからです。ジャズファンの間でよく知られた風習というか習俗(笑)に“コンプ”と呼ばれるものがあります。通常「おれ、ファラオ・サンダースをコンプしたぜ」という風に使用される言葉ですが、要はファラオ・サンダースの全録音を収集するのに完了したぜということです。自然発生的にジャズファンの間で起こったものということで“習俗”と呼ばせていただきましたが、パーカー以降のモダンジャズには多かれ少なかれ、そのような聴取の仕方を要求する要素があるように思われます。中山先生もそういうコアなジャズファンの生態を知悉していたことから、あの名シリーズ「〜聴け!」を着想したのではないかと私は推測しています。

チャーリー・パーカーが生み出した新たな音楽のもつスリリングな「体験」は、新たな一群の演奏家を生み、新たな聴取のスタイルとそれをもった新たな聴衆を生みだす、そして、そのことが新たなメディアのあり方や新たな音楽批評のあり方をも生みだしてゆく…、こういう一連の出来事が同時に起こった、この事態を称してジャズにおけるパラダイムチェンジが起こったと言っても差し支えがないのではないかと私は思います(ここでクーンを呼び出してきて、彼が使用したようにパラダイムは自然科学に限定して使うべきだとかは言い出さないでね、面倒だから(笑)。“時代のあり方を変える大きな枠組みの変化”という普通に通用している意味でとらえて下さい。もっとしっくりゆく言い方があるならば教えて下さい)

話を戻します。私が摂津さんの発言に感じたある種の「転倒」というのは、例えば次のような発言の中にあります。

エリック・ドルフィの「ラスト・デイト」のおしまいに、ドルフィの肉声で、音楽というものは演奏されてしまえば空中で消えてしまうんだ、というような意味が語られていたでしょう。そういうことです。もちろん、CDがあります。しかし、当然ながらすべてが記録されるわけではありません。

このような「演奏されてしまえば空中で消えてしまうんだ」という感性や「すべての記録を要求する」聴き方のスタイルも実はチャーリー・パーカーによるパラダイムチェンジ以降に成立した感性であり、聴き方です。ジャズは別にそういう聴き方をしなければならないという訳ではありません。パーカー以前、ダンスミュージックとしてジャズをとらえていた人々は、このドルフィのような「演奏されてしまえば空中に消えてしまうんだ」というような感性を持たなかったはずです。「このダンスバンド、ごきげんだな。明日も踊りに行こうぜ。」ってな感じであったはずで、音楽の聴取体験のもつ一回性、反復不可能性の深い自覚から真剣に音楽に向き合うというようなモダンジャズ特有の切迫感や緊張感は、まあ、まずなかったでしょうね。それはパーカーが私たちに教えてくれたものなのです。

摂津さんは本物のジャズファンですので、こういう感性や聴取スタイルは自明の理であって、特に考察する必要を感じなかったかも知れません。しかし、実はジャズファンがジャズを聴取する具体的な「体験」を通じて、自然に「身」につけるこういう感性のあり方、聴取スタイルの考察の中にこそ、ジャズの美学の可能性が潜在しているのです。これこそが、私のいう「転倒」の正体です。
(ちなみに、後藤雅洋氏がメルロ・ポンティの身体論を通じて明らかにしようとしているジャズの美学的考察はこういう具体的な聴取体験の考察の中にあると私は思っております。そして、今ならはっきりと分かりますが、確かにメルロ・ポンティの思想は、こういう体験を考察するのに有効だと思いました。「ジャズ耳の鍛え方」を読んで、改めてそう思いましたね。摂津さんはこの本を読んで「メルロ=ポンティフーコーか、というようなことは余り書いていないように思います。」と記されていましたが、私の感想は違います。少なくともメルロ・ポンティに関しては各所に書かれていたように思います。ゲシュタルトに関しては言うに及ばず、それまであまり言及のなかった「心身の合一」の問題や「個性」の発現と身体との関係など重要な課題がさりげなく書かれていました。哲学を普段読まない人へと配慮して非常に噛み砕いて論じていますが、後藤さんがメルロ・ポンティの解読を通じて獲得した成果が随所に現れているように思いました。)

摂津さんには言及すべき「転倒」がもう一つあります。一つ目は摂津さんが本物のジャズファンであったからこそ、当然に「身」につけていた感性や聴取の仕方から生じた盲点であったように、もう一つは摂津さんがジャズを心から楽しんでいるからこそ生じる(摂津さんのブログにあるジャズに関する文章を読み、その演奏をお聞きしてそう確信しました)盲点です。

少し長くなりましたので、ここらで筆を置くことといたします。多分あまりに長いので、後藤さんも少しお怒りになっているような気がするからです(笑)。

私は摂津さんに限りない親愛の情を感じています。摂津さんの私に対する批判の多くはmiyaさんはジャズをわかってないし、愛していないのではないか? という懐疑がその深いところに潜んでいるような気がするからです。逆に、摂津さんの文章からはジャズにまとわりつくあらゆる「言葉」による説明、「論理」的な分析、不必要な「観念」などを除去し、そこからジャズを救い出したいという純粋な思いが溢れているように思えます。私はそのことを好ましく感じました。ジャズを愛していない人とジャズについて語っても不愉快なだけです。もし、そうであるならばただ黙殺するのみで終わったはずです。摂津さんがどういう方かはわかりませんが、あなたのジャズを愛する気持ちはたしかに受け取りました。そして、それこそが私の「蟄居閉門」を解き、対話を再開する契機になったことは申し添えておきたいと思います。

もし続きを書くことを後藤さんが許して下さるならば、最後の第三通目は「ジャズにおける哲学と科学の可能性」です。掲示板ではジャズの「科学」的考察について様々な意見が飛び交っているようです。この件に関して、哲学の立場から私の意見を述べさせていただきたいと思います。勿論、摂津さんに言及すべきもう一つの「転倒」も述べさせていただきます。実はそれこそが、ジャズの科学的考察を解く、もう一つの鍵となっております。
乞うご期待!

http://com-post.jp/root/bbs/index.cgi

[625] 無題 投稿者:攝津正 投稿日:2012/06/25(Mon) 09:52
miyaさんの文章を拝読しました。
チャーリー・パーカーの出現が重要な出来事だったのは確かでしょう。そのことと「記録」との関係は考察すべきでしょうね。ただ、私自身が指摘したいのは唯物的・技術的条件です。まず、そもそも録音技術がなければ録音してレコードなりCDにして遺すのは不可能であるばかりでなく、「全ての演奏を記録する」こともまた不可能です。パーカーが或る年に、いつでもいいですが1950年に200回のLiveをやったと仮定しましょう。どれほど熱心なファンでもそれを全部録音できるでしょうか。もし録音されたとしても、我々聴衆にそれを全部聴く時間、経済力があるのでしょうか。

ですから、パーカーのビバップが我々に「全部を聴く」衝動を惹起した、ということはありそうなことですが、そういう主観的要素(願望、衝動その他)とは別に、客観的な制約や条件もありますし、そちらを重く見るべきなのではないのか、というのが、私自身の考え方です。

ジャズに限らずCDショップに行ったり、Amazonを散策しますと、商品は膨大にあり、幾ら我々が音楽を好もうと、余程の資産家でそして暇人でないならば、その全部、或いは大多数に接することは不可能だという事実をいつも痛感します。○○のBox setとかは大量に出ていますよね。それらを全部購入して調べ上げることは恐らく誰にでも不可能でしょう。ですから、将来的には、歴史的な音源は図書館などでアーカイヴ化され、誰にでも参照できるものになってほしい、というのが、私の個人的な願いです。勿論そのことと、「現在」存在している「現在」の音楽家連中による音楽活動はまた別箇ですよね。