週末音楽家(兼業音楽家)宣言

今朝、習志野第一病院に通い、雨森さんのリハビリを受けました。私は8:30からと勘違いして8:00に病院に行きましたが、9:30からでした。就職したことや作業における右腕の負担などをお話しし、30分ほどで終えて今帰宅したところです。母親から頼まれ、千葉銀行に一万円入金し、キウチでケントの3ミリ・ロング(煙草)を4個買いました。12:00から二和公民館で、津軽三味線の稽古があるので、少し休んで食事を摂ろうと思います。

昨日書いた通り、私は他のバンドメンバーと同じく、本業を他に持つ週末音楽家(兼業音楽家)になりました。音楽で仕事なり生活ができないとか、6・3・3・4・2と18年間も教育を受けたのに単純作業・肉体労働しかできないのかとか考えると落ち込みますが、しかし、今の職場環境は非常に恵まれた素晴らしいものと言え、私はこれに満足して続けるべきだと思います。今の職場で続けられないなら、他のどこに行っても駄目でしょう。だから、とにかく一所懸命試用期間を頑張り抜こうと思っています。

スローワークといっても、仕事は仕事なので、文字通り汗水垂らして働くわけで、きついといえばきついのですが、それでも怪我や病気になるほどではありません。頑張れば慣れると思います。それで、そこそこのお金になるのなら、私は借金も返せるし、生活の再建は賃労働、自己実現は週末の音楽なりブログ更新、というふうにやっていけます。

私には夢があります。借金完済、住宅ローン完済、両親の老後の資金作りなどが終わったら、10年後でもいいから、本場アメリカでジャズに挑戦したいのです。10年後私が生きているかどうかも、「ジャズ」とカテゴライズされる音楽が存続しているかどうかもわからないのですが、自分の腕試しをしてみたい、と思います。

それと、話は飛びますが、フリーター全般労働組合からの脱退を撤回した件について、少し書きます。

私は、そのような自分の決断を合理的・論理的に説明できないと述べましたが、幾つか合理的な理由はあると思います。まず、私の家を訪れた執行委員のOさんから、よねざわいずみさんの発言は個人的なものであって、組合や執行委員会とは無関係だとの説明を受け、私もそれを了解したことです。次いで、2ちゃんねるの書き込みやよねざわいずみさんのコメントなりチャット発言に対する怒りが霧散しました。それは何故かというと、攝津をバールで殲滅というような書き込みが2ちゃんねるにあったとしても、それを書いた人は本気で私を殺したいほど憎んでいるはずがない、と思うからです。つまり、それほどに私を憎む動機を持つ人がいるとは考えられないのです。しかし、警察に訴えて検挙される等の展開に仮になったとしたら、今度は、その人にとって、私を恨む理由ができます。不当な逆恨みだとは思いますが、その人は私に悪意と憎しみを募らせ、報復しようとするでしょう。というふうに考えると、警察に通報したり相談することは、私にとって何の得にもならないし、逆にマイナスだと合理的・論理的・功利的に判断できると思います。「名より実を取る」精神からすれば、得にならぬ警察通報などやめておくのが上策だと判断しました。

よねざわいずみさんのコメントにしても、私としては心外な面もありますが、「絶対に許せぬ」「執行委員解任動議を出す」等と息巻くほどではないのは明らかです。確かに感性の違いや警察権力への向き合い方の違いはあるでしょうが、対話不能とか絶対的訣別が必要というわけではない、と思います。

繰り返しになりますが、私にはもう、2ちゃんねるの書き込みを警察に通報するつもりはありません。彼らがあれこれあることないこと書きたいのであれば、別に好きなだけ書けばいい。私は、それを見ないか、応答するとしてもそれほどマジに怒らずにそうしようと思います。

というようなことを、病院や病院から帰る電車の中で考えていました。労組脱退宣言などは、本当に大人げなかったなあと反省しています。瑣末なことで、何故あんなに怒ったのかといえば、慣れぬ肉体労働で疲弊し神経衰弱になっていたからだとしか思えません。私は、ニートだったわけではなく、これまで合計すれば4年間、1日4時間のパートタイマーとして、さいたまの進学データシステムや二和向台鎌ヶ谷大仏明光義塾SKPグループで働いてきたのですが、やはり短時間労働であり、月収も7万円ほどでした。今もパートタイマーという身分であるのは変わりませんが、労働時間が1日8時間*週5日=40時間なので、或る程度しっかりした収入になることが期待できます。私は、これまで、10万円を超える月収を受け取ったことがないのですから、仮に10万円を超える収入を得、それを家族に渡すことができるとしたら、大きな進歩といっていいでしょう。明日からの一週間も、焦らず地道に頑張ろうと思います。

それと、aml、wsfj、fem-general、alt-g8の各MLから退会しました。私は、メールを読むのが辛いというのは事実なのです。なので、avonさんも言う通り、(フリーター全般労働組合とその執行委員会を除いては、ということになりますが)仕事以外の雑音を全て断ち切りたいと思います。その意気込みがあったので、あかねも辞めました。

ウェイン・ショーターフレディ・ハバードカーティス・フラーから成る3管フロントの厚みのあるハーモニーが素晴らしいです。それと、シダー・ウォルトンのピアノもいいし、御大ブレイキーのドラミングも快調です。

↓レッド・ガーランドの代表作です。左手の入れ方などが渋いですね。「Cジャムブルース」も勿論いいんですが、他の曲も素晴らしいです。

グルーヴィー

グルーヴィー

↓正直、まだよく分かりません。もっと聴き込もうと思います。

アローン(アゲイン)+3

アローン(アゲイン)+3

↓今日の収穫です。矢野沙織に勝るとも劣らぬ優れた才能だと思います。非常に感銘を受けたので、彼女のファースト・アルバムを先ほど注文しました。週に1枚くらいならCDを買ってもばちは当たらないでしょう(笑)。

願い/Negai

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  • アーティスト: Hitomi,ジョシュ・ネルソン,トム・アルトゥラ,ザック・ハーモン,チャールズ・アルトゥラ,ニック・デピーナ
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功利主義

http://ja.wikipedia.org/wiki/功利主義

功利主義には倫理が欠けている、という人がいます。功利主義とは、ベンサムやミルに代表される思想ですが、一般的にいって、利益なり快楽を求める性向を肯定する思想だと言っていいと思います。

私は、功利主義者です。

功利主義者が浅薄だという謂れのない誤解がありますが、私はそんなことはないと思います。功利主義に倫理や他者が欠けている、という批判も当たらないと考えています。というのも、自分の利益なり快楽を追求する時、人間は社会の中で生きていますから、自己の利益なり快楽を最大化しようとすれば、必ず他者と協調せざるを得ないし、未来や過去の他者のことも顧慮せざるを得ないからです。古代でいえば、エピクロスの思想が蒙ったのと同じ誹謗を、功利主義は蒙っています。

私は、デカルトスピノザ、それから特にジョン・ロックやヒュームなどのイギリス経験論、要するに17世紀の哲学を読んでいて、彼らが用いる「善」という用語が多くの場合「快」を意味していることに驚いた記憶があります。「善」なるものが、快苦といったものを超えた何かとして定義されるのはカント以降なのです。われわれ現代人にとっても、「善」と言われると何か自己犠牲や奉仕のようなものを想起するのが普通でしょう。善 goodという言葉で快楽なり利益を意味していた時代があったことは、案外知られていないのではないでしょうか。

偏見かもしれませんが、私は、カント以降の哲学、ドイツ観念論に疑いを抱いています。それは実践理性なり意志(意欲)の哲学ですが、それは高邁なようでいて内容空疎なのではないかと疑っているのです。アングロ・サクソンの思想は、マルクスニーチェが考えたようなつまらぬものではありません。マルクスは『資本論』においてベンサムを嘲笑し、ニーチェは『善悪の彼岸』においてジョン・ロックを浅薄だと非難しています。しかし、わけのわからぬ「深遠」なる形而上学などより、日常なり常識に根ざした実践思想なり倫理のほうがいいのではないでしょうか。

話は飛びますが、プラトンにおいて「善」とはまさに「善」そのもの、「善」のイデアでした。プラトンの複雑な思想をいささか簡単に述べると、彼にとってイデアであるものとは、例えば「善」や「美」のような卓越した価値、或いは「大 / 小」などの対になった論理的関係性でした。私は古典ギリシア語の教養がないので間違っているかもしれませんが、プラトンにあって、純粋なイデアと、「形相」は区別されると、早稲田大学大学院文学研究科のプラトンが専門の教授は私に教えてくれました。例えば、「机」なり「人間」には形相があり、例えば製作的知性にとって目的となります。机を作る職人は、机の形相を思い描き、それに似るように机を作ります。

ところで、脱線しますが、プラトンの考えの大きな転換点は晩年の対話篇『パルメニデス』にあります。そこでは、若きソクラテスが、老いたるパルメニデスと議論をするのですが、ソクラテスは、塵・泥・毛髪のようなつまらぬものにもイデアはあるのか?とパルメニデスに問い掛けられ、答えることができないでいます。パルメニデスは、ソクラテスに、君はまだ若い、と声を掛け、その話題は終わります。

そこから汲み取れるのは、プラトンの思想にあっては、「悪」「醜」のような反価値的なものや、塵・芥・泥・毛髪・糞便等々のくだらぬものにはイデアも形相もないとされているのではないかということです。そこにプラトンの考えの一つの問題を見ることができるでしょう。われわれの日常は、つまらぬものや忌まわしいものも含んで存在しています。しかし、プラトンの考えではそれは、イデアなり形相の欠如に過ぎないのです。プラトンの流れを汲む、新プラトン主義者のプロティノスなどは、「悪」は、(「形相」と対立し物質的なものを意味する)「質科」に由来すると説きました。このような考えは、精神ではなく肉体から悪がくるというような、キリスト教的な思想の萌芽であるといえます。

話を近代の経験論者や功利主義者に戻しましょう。彼らにとって悪とは? それは「苦」です。カントは「根源悪」という考えを提起し、「自由」そのもののうちに悪を選択する可能性があることを指摘し、シェリングなどがそれを引き継ぎましたが、しかし、カント以前の哲学者らにとって、悪とはもっと身近なものです。われわれが日々感じる苦痛なり不利益が悪なのです。そこから、「最大多数の最大幸福」というような考えが生まれます。

さて、問題は、この「最大多数」に何が含まれ、何が含まれないのか、ということです。未来世代や死者らは含まれるのか、どうか。或いは、「苦痛を感じるであろう」と思われる動物らには適用されるのか、どうか。これらはいずれも難しい倫理学的難問です。

そして、「最大多数」に含まれぬ少数派の権利や幸福は切り捨てられていいのかどうか、というのも問題です。確か聖書だったと思いますが、百匹の羊より、一匹の迷える羊を救う云々がありましたが、例外者なりをどう扱うのかというのは重大な問題だといえます。

ところで、英語では功利主義とはUtilitarianismといいます。utility=効用、或いはマルクス的にいえば使用価値などとの結びつきが、原語でみるとよく分かると思います。19世紀末に、ベンサムの快楽計算(快苦計算)の思想を引き継いだのが、経済学者・論理学者のジェヴォンズであると言えます。彼は、「効用」(utility)概念を経済学に持ち込み、近代経済学の祖となりましたが、マルクス主義者からは、主観的なものは科学の対象にならぬ、経済学の堕落だなどと非難されました。日本でいえば、福本和夫の初期の著作にそのような批判が見られます。しかし、私は、それは一面的ではないかと思います。ドゥルーズ=ガタリマルクス主義者ですが、しかし単純で教条的なマルクス主義者なのではありません。『千のプラトー』(河出書房新社)という非常に刺激的で面白い本がありますが、それはジェヴォンズの効用概念に言及し深く論じています。主観的なもの、ないし「私は感じる je sens」の領域にまで踏み込んで、ロジックを作っていこうとしたもので、とても面白い試みだと私は思います。ドゥルーズ=ガタリマルクス経済学と近代経済学の中間にいるのです。彼らが盛んに引用するベルナール・シュミットという経済学者は、近代経済学からマルクス経済学に転向した人です。また、銀行権力を分析した人もよく言及されています。だから、彼らのマルクス主義は独特のものだといっていいでしょう。

いささか脱線が過ぎましたが、冒頭の話に戻れば、私はカント以降の倫理に反対であり、「拡張された」功利主義とでも言うべきものを支持すると表明したいです。拡張された功利主義とは、「われわれ」に入らぬものも顧慮する功利主義という意味です。自分の快や利益を追求するが、他者とも協調するような態度のことです。この「他者」にどこまでを含めるか、例えばベジタリアンがそうしているように苦痛を感じる動物(哺乳類など)まで含めるべきかというのは、今後の課題ですが、ともかく、われわれは想像力と共感能力を拡張しつつ、自他の利益を追求すべきだと思うのです。アダム・スミスは『諸国民の富(国富論)』で、他人が殺されることより、明日私の指が切断されることのほうがわれわれには恐ろしい、という意味のことを言いました。アダム・スミスの言うことには、当たっている面もあると思います。貧しい国々での搾取なり、悲惨な実態があるのを知りながら、われわれは多くの場合それを放置しています。他者の死より、自分の怪我の痛みのほうが怖いわけです。それはやむを得ない面もあります。しかし、われわれは、できるならば想像力なり共感能力を拡張して、本当に「最大多数」の幸福を目指すべきだと思うのです。

津軽三味線の稽古

今日は沖先生が久しぶりに見える。沖先生が、「貴方もエースね」と褒めてくださったが、私は、私と違い三味線歴にブランクの無い斉藤さん(私と同じ年齢の、名取の資格を持つ女性)のほうが上手いと思う。

千代田先生が、私の三味線のばち皮(ばちがよく当たる部分だけ、補強して付けている皮)が練習のし過ぎで破れているのを見て、「特別に、無料で交換してあげるよ」とおっしゃる。「普通はお幾らくらいかかるものなんですか?」と訊いたら、「1000円くらい」とのこと。ばち皮を張り替えると、三味線の音も良くなったと先生はおっしゃる。そうだといいのだが。

練習を終え、10月の船橋市や千葉県の民謡大会の練習の話になるが、私は今、試用期間なので、週三日も休むのは無理である(日曜を含めて)。週5日労働 / 週40時間労働というのをきちんとこなしたい。なので、週に二回稽古がある週は、一日稽古を休もうと思っている。先生も、仕事を大事にしなさいとおっしゃってくれているので、一回くらい稽古を休んでも問題ないだろう。

私は組織とうまくやっていけない、という話を前書いたが、攝津家なり芸音音楽アカデミーファンキー・シーズなど、さらには津軽三味線の先生とお弟子さん達の共同体、職場の共同体などではうまくやれている。自分の駄目な面だけでなく、ちゃんとできている面も評価していかないといけないな、と思う。

それと、私は、原因不明で、好調・不調の波があるのだが、脳の器質的原因があるのか、精神的なものなのかは分からないが、しかし仕事は、好調時であろうと不調時であろうとちゃんとこなさなければならないし、無断欠勤などは論外である。ということを考えると、体調管理にも気を使わないといけないし、ちょっと緊張し不安になる。今週、明日から土曜日までの連日の肉体労働に身体と精神が堪えられるのか、心配である。

が、思い当たることとして、一日三回飲まねばならぬドグマチール等の抗欝剤なり抗不安剤を飲んでいないことがある。一日一回、寝る前に飲む薬しか飲んでいない。それが、先週木曜日・金曜日に体調と精神状況を崩した大きな原因ではないか、と思う。職場で薬を飲むのは少し恥ずかしいのだが、そんなことも言っていられないので、服薬はきちんとしようと思う。

私は、自分で自分自身を励ましている。

もし仕事が続けば

もし仕事が続けば、返せないものと思っていた奨学金も返済できる、と希望を持ちました。仮に月15万円程度の収入になるなら、2万円ずつ返済していくことは大した負担ではないだろうと思うし、それに精神科の自立支援も受けなくてよくなるのではないか、と思います。そのように考えると、希望も多く見えてくるように感じています。

www=world wide webの理念とSNS

mixiなどのSNSが嫌いという人の多くは、「www=world wide webの理念」にSNSが反している、と言う。招待された人しか入れない、閉鎖的な場で交流することは、全世界に開かれてあるwwwの理念に反するのではないか、と。

私自身は、その意見には賛成しない。というか、そのような意見は、いささか教条主義的で硬直しているのではないだろうか、と思う。

が、私は、mixi日記を「全体に公開」して誰でも読めるようにし、さらにmixi日記のほとんど全て(mixiニュースに関連づけたもの以外)をはてなのブログ『femmeletsの日記 Queer Linda Diary』に転載しているので、私自身はwwwの理念に反していない、と考えている。

mixiは、単に楽しいし、mixiで知り合った友人もいるし、自分の考えを吟味する場にもなるし…。そういうわけで、無料会員ではあるが、mixiをやっているわけである。

新人さん

Mr.Childrenが好きだという高校生Mくんが、最近芸音音楽アカデミーに入ったので、ドラムを習いにくる。半月くらい?

さっき、ビートルズの「イエスタディ」を試しに私がピアノで、Mくんがドラムで二人で合わせてみたが、まだ難しいようだ。ま、始めたばかりだから、しょうがないでしょ。

ところで、勿論私がドラムを教えられるわけではないので、母親が教えているんだが、母親も私もMr.Childrenの音楽を全く聴いたことがなく、興味もないんだが、それでもいいのだろうか。ちと疑問である。

週末音楽家(兼業音楽家)宣言 2

習志野第一病院で雨森さんの出勤を待っている間考えていたことだが、私には、自分が、例えば上原ひろみと比べてより才能あるとは到底思えない。自分の限界というのも強く感じている。33歳にもなってこれでは、大成できないし、一枚のCDも出せないだろう、と正直にいってそう思う。親は、いつか私がブレイクすると思っているようだが、私はその可能性はゼロだと思う。というようなことを考えると憂鬱になるが、なるべくそういうことは考えないようにして、とりあえず明日の朝元気に出勤し、一日を無事終えることを目指したい。

私は、音楽は、一部の才能に恵まれた者の専有物ではない、と思っている。下手糞であっても、音楽を続ける自由も意味もあると思っている。

退会ラッシュ

私がこの1ヶ月ほどの間に脱退した団体やML。

  • 地域通貨レインボーリング
  • テロリストは誰?九条の会
  • 平和への結集をめざす市民の風
  • 平和省
  • Chance!
  • aml
  • レイバーネット
  • 「持たざる者」の国際連帯行動
  • あかね運営
  • 絆社
  • 全国「精神病」者集団運営委員会
  • grassroots(有志団体)
  • 精神医療を良くする市民ネットワークML
  • 世界社会フォーラム
  • ふぇみん
  • ばらいろネット
  • 反G8
  • 否戦読書会
  • ゆらゆら

などなど、などなど。ほとんど全部やめた。残しているのは、自由放送とかmetaくらいなものである。
フリーター全般労働組合の退会は撤回したが、まだ組合や賛助会のMLには復帰していないし、こちらから催促するような失礼なことはしない。

Mくん、帰りました。

「明るい表通りで」等4曲をピアノで伴奏してあげる。で、帰っていった。
PLAY THE FUNKY! / HIDEO SHIRAKI(白木秀雄)を聴いているが、はてなの商品検索システムで出てこない。

音楽彷徨告知

●番組名:攝津正の音楽彷徨
●番組のURL: http://tds.radilog.net/
●パーソナリティ名:攝津正
●放送開始日時、予定放送時間:9/8(月)22:00-23:00
●本日の放送内容:ピアノ・三味線・ウクレレ演奏とお喋りします。
気楽に聴いてね!
●メッセージ募集要項など:お好きな話題を持ち寄ってください。
●らじろぐチャット以外の掲示板があれば、そのURL:
http://9118.teacup.com/femmelets/bbs
http://chat1.net4u.jp/chat/mkframe.cgi?z=Linda

不安発作

ソラナックス飲み横たわるが、状態一向に改善しない。
7-8年、或いはもっと前からずっと続いている、激しい不安発作である。とても苦しい。苦しくてたまらないが、どうしようもないというのもよくわかっている。

原因としては、労組に復帰したが受け入れられるかどうか不安なこと、そして明日の労働がこなせるかどうか不安なことにあると思う。

不安が募るから、不安障害=不安神経症と診断されているのだろうが、それにしても苦しい。症状としては、肩や鳩尾が痛く電流を流されているように感じることである。いつも変わらぬ発作だ。一晩寝て明朝になれば治っているのだろうか?よくわからない。

白木秀雄『白木秀雄』

上司のTさん、しっかりした優しい性格の頼れる男なのだが、誰かに雰囲気が似てるなあと思ったら、ビートたけしにどっか似てるような気がするw
ところで、今↓聴いてる。日本人ドラマーとしては、ジョージ川口知名度が圧倒的だが、この人もいいよね。

白木秀雄(紙ジャケット仕様)

白木秀雄(紙ジャケット仕様)

俺がさっき探してたのこれだよ。↓タイトルが違ってたんで検索引っ掛からなかった。

KING RE-JAZZ SWING

KING RE-JAZZ SWING