無題

 昨日のエントリーを「独りよがり」「意味不明」という声があって驚いている。内容への賛否、文章の出来不出来についての感想はあると思うが、書いてあることがわからないということだけはあり得ない。Twitterなど世の中の論調をチェックしていると、冷笑派はありもしないウヨサヨを脳内ででっち上げて喋々している、というものがある。なるほど、そういうこともあるのかもしれないし、そういうことを並べ立てるひとは御自分はウヨサヨ関係なく「いのち」のために動いているとかいう結構な御自覚なのかもしれない。けれどもウヨサヨでないとしても、そういう人々とそうではない圧倒的多数の人々の間には越えがたい距離がある。もちろん、そんなことは当人たちにも重々承知されていて、挑発のために敢えてそういうことを喧伝しているのだろう。だとすれば、挑発に乗って発奮するのではなく無視する、または「逆をやる」のが得策である。
 わたすはただ単に「普通の市民」である。いのちだの未来の子どもだののためにやっているだけだ、という御目出度い連中のほかに自覚的にウヨサヨの「敵対性」を語るよりイデオロギー的な連中もいる。はじめに申し上げたものとそういうやや「戦略的」(?)な連中が混在しているのがややこしいところだが、ぼくが思うに冷戦終結イデオロギーは終わって、すべてが「コモンセンス」になったというダグラス・ラミスの意見ほどその後誤謬が露和になったものはちょっとほかにない。反戦平和も脱原発も少しも「コモンセンス(常識)」ではない。普通でも当たり前でもなんでもない。ソ連という仮想敵国がなくなったとか、ホンモノだか虚偽だか外部の人間にはあずかり知らぬところだが、社会主義体制の巨大な親玉が崩壊したとか、だから、戦争に反対しても他国や異なる体制の陣営を擁護する為にする議論や行動だと疑われなくなったとか、脱原発もただ単なる素直な常識とやらになって、少々込み入ったモンダイは消えうせたとかいうことはない。まったくない。少なくとも3.11以降のその手の主張の大多数にぼくは賛同しない。 ── おまえはそう政治的社会的問題にすり替えるが、文章や演奏の内容が低次元なのだと非難されれば、それはすいませんねと舌を出すしかないが、それはともかくとして……。
 確かに自分の文章やそのほかの何やかやは大したものではないであろう。その証拠にこの年齢になっても世に出ていない。それはそうだが、ウヨサヨ脱原発/反反原発(?)、政治モンダイと無関係とか、脳内で捏造したウヨサヨのイメージだというわけには参らない。わからないとか何だとかかんだとか、独りよがりだとか意味不明だと謗られた昨日のエントリーですが、ぼくが列挙したひとたちは妄想や捏造ではなく、事実存在したひとたちでしょう。そうして一体どういう反新自由主義反グローバリズムなのか、フード左翼なのかと心底呆れたが、ひとがそのへんのスーパーで半額で買ってきたマンゴー・ジュースを愛飲していたら《プランテーション・ジュース》だとか非難されるというのは、ほんの偶然や表層においてであっても、運動とかいうそれこそわけのわからぬ妄動と関わってなければあり得なかったことでしょう。そういうことには本当に心底迷惑しているんだ。《俺は左翼でもなんでもないが、だがしかし》というならば、恐らくC3のいうように、「新自由主義」とかいうのが悪口になるなんてさすが共産党板だな、と呆れるのが本当だろうと思います。