何冊かの気になる本

文藝春秋から1978年に出ている『思想に強くなること』という田中美知太郎の評論集があるが、1975年8月の『戦後三十年と今後の日本』という文章に次のくだりがある。

三十年まえ、降服後の日本をどうするかということについて、当時占領軍のブレーンとなった人たちのうちには、日本の工業化を禁止して、これを純然たる農業国にとどめておく考え方もあったらしく、当時の新聞には大々的にそんなことが報道されていたことを記憶している。もしこのような政策が実際に行なわれていたとしたら、今日の日本は公害論者の言う「青い空と清らかな水」の自然を保持していて、少し詩人的な言葉で考えれば、「美しい日本」だったかも知れない。しかし国民の実際生活は、東南アジアの人たちの生活よりも低レベルにあったかも知れない。

今日の日本人は、どちらがよかったかを、本気で考えてみたらいいのである。(以下略。235ページ)

田中の時事的な意見は保守派と評するよりほかないものだが、ここでつまらない挙げ足を取られないように補足しておけば、農業と漁業だけの伝統社会をという意味の保守ではなく、現体制(というか当時の体制)の擁護論という意味だが、だから、反動だと片付けるには余りに本質的な提起だとしか言いようがない。3.11以降、資本主義〜新自由主義や科学・技術文明への懐疑論が一斉に花開き、政策ヴィジョン提言としてのエコロジスト的「脱成長」が云々される現在だから尚更そうみえるのだが。

第二に1962年に現代思潮社から出た吉本隆明の『擬制の終焉』の表題作。1960年の文章である。

また、これら社会の利害よりも「私」的利害を優先する自立意識は、革命的政治理論と合致してあらわれたとき、既成の前衛神話を相対化し、組織官僚主義など見むきもしない全学連の独自な行動を生み、まず、戦前派だったら自分でこしらえた弾圧の幻想におびえてかんがえもおよばないような機動性を発揮した。戦前派が、全学連派を暴走とよんだとき、天皇制権力からいためつけられたときの傷がうづくのを覚えたのだが、全学連派は、すくなくとも幻想された弾圧恐怖からあたうかぎり自由であった。ここに、戦後社会の進展度と権力構造の変化と大衆の意識構造の変化にたいする戦前派と戦争世代以後の理解の断層があらわれたのである。

このような「私」的利害の優先原理の滲透を、わたしは真性の「民主」(ブルジョア民主)とし、丸山真男のいう「民主」を擬制「民主」であるとかんがえざるをえない。いわば、それは擬制前衛思想のピラミッドから流れくだったところに生れる擬制進歩主義の変態にほかならなかった。(35ページ)

念のために言い添えれば別に吉本の意見が素晴らしいとか正しいと申し上げたいわけではない。これは安保闘争についての論評なのだということは念頭に置かなければいけないし、それ以上の一般論にしても仕方がないわけだが、大衆というかみんな、個々人が私的利害でのびのび動けば常にそれだけでいいのか、というのは大いに疑問である。それはそうだが、これは全学連についてのひとつの意見なのだということだけに留める。

保守とか反動とか、または転向派と目される著者ばかり取り上げてきているが、毛色の違うものとしてミルの『自由論』。邦訳は中公バックス世界の名著。原文はJohn Stuart Mill "On Liberty" (Penguin Classics)。20年前、学生時代からRoutledge Philosophy Guidebook ToというシリーズのJonathan Riley "Mill: On Liberty"と併読している。折に触れて読み返しているが、最初のほうの言論の自由についての議論、古典的なリベラリズムの考え方を提示したものだが、そこが気になる。

吉本の議論が1960年安保闘争における全学連を主題にしたものであったように、ミルの意見も、確かに一般論として言論の自由の擁護を謳ってはいるのだが、特殊特別なケースとして宗教的信仰の事例を挙げ、古代におけるキリスト教とそれへの迫害を論じていたはずである。もちろんその狭い文脈に留まるものではないのだが、truth、真理とか真実といっても、我々が通常考える何かとは異なるのではないかとは思うべきであろう。それはそうと、それが気になったというのは、「部分的に真である可能性がある意見」を迫害することのみならず「誤りである意見」も弾圧というか統制すべきではないと主張されているということである。

リベラル派の見解の雛形、原型として誠に一般論としてはよく分かる意見であり、確かにそうだと私も思う。そうはいっても、いつも繰り返しているように3.11以降今日に至るわけのわからないネット言論状況を見るに、政府による検閲や規制、弾圧などはもちろん望ましくないのだとしても、ひょっとしたらごく小部分、一部は真実も含むかもしれないが、全体としておかしい主張や、または全くの誤謬、デマの類いまで擁護しなければならないのかという個々人のリテラシーやそれこそ倫理観は問われるべきであろう。そう思うのだが、どうだろうか。

The Routledge Guidebook to Mill's On Liberty (The Routledge Guides to the Great Books)

The Routledge Guidebook to Mill's On Liberty (The Routledge Guides to the Great Books)