ショーペンハウアー先生

いずれの人の一生も、もしこれを全体として一般的に眺めそのなかから著しい特徴だけを抜き出してみるなら、本来それはいつも一個の悲劇である。ところがこれを一つ一つ仔細に立ち入って見ていくと、喜劇の性格を帯びてくる。だいたい日ごとの営みや煩労、時々刻々にくるせわしない嘲弄、毎週訪れる新しい願いや恐れ、各時間ごとにある厄介、こういったものは悪ふざけをいつも企てている偶然によるもので、まったくのところ喜劇の場面というほかはないものだからである。ところが願いごとはけっして満たされないし、努力は水の泡となるし、希望は無慈悲に運命に踏みつぶされるし、一生は全体として不幸な誤算であるし、おまけに悩みは年齢ごとに多くなって最後に死がくるというのであれば、これはなんとしても悲劇である。運命はそのうえわれわれの生存の悲嘆にさらに嘲笑を加えんとするがごとく、われわれの人生は悲劇のあらゆる苦しみを背負っていなくてはならぬというのに、その際、われわれは悲劇的人物としての威厳を主張することすらできないのであって、生活のうえの広範囲な瑣末事のなかで、いやおうなしに愚鈍な喜劇俳優の役を演じなければならない始末なのだ。

中公バックス『世界の名著』第45巻のショーペンハウアー西尾幹二の責任編集。西尾幹二の翻訳で『意志と表象としての世界』。576ページだが、實に深いな。