Five birds and a monk

"Five birds and a monk"というオムニバス盤を聴く。アート・ペッパージョニー・グリフィンの音源が入っているようだ。今日から図書館でショーペンハウアー全集を借りて讀むことにする。楽しみだ。2ちゃんねるでは相変わらず「コピペだらけのクソブログ」とか貶されているが、コピペではなく引用というのですよ(笑)。そうしてなんら面白い芸もないかもしれないが、奇を衒って珍説を開陳する趣味もないもんですからwww というわけで今日の引用行こうか。

理性、歴史、経験の教えるところによれば、あらゆる政治的社会ははるかに不正確で、不規則な起原を持っている。国家的事件において、人民の同意が最も尊重されなかった時期を選ぶとすれば、それはまさしく新しい政府が樹立されたときであろう。すでに確立した政体のもとでは、人民の以降も多くの場合考慮される。けれども、革命・征服・社会的動乱の荒れ狂う時期には、議論を決するものはふつう軍事力か、それとも政治的な策謀である。

これは小西嘉四郎氏が訳したヒュームの『原始契約について』という素晴らしい文章だ。大槻春彦責任編集の中公バックス『世界の名著』の第32巻の544ページだ。このエッセイは「古代文明諸国民の間では、反逆の罪は、新奇なことを企てるという、共通の言葉で表現されていた」と結ばれているのはいつも御紹介している通りだが、ぼくは別に転向したり変節したわけではない。もともとイギリス経験論やアメリカのプラグマティズムが大好きなのだが、まあそうすると自称「革命的」な人士からよくからかわれたりバカにされたもんだ。それこそ大学の学部時代からね。そういうマルクス主義者やアナーキストの学生さんたちがいまどこで何をやってるのか知らない。知りたくもないね。人はそれぞれ自分に適当な、ふさわしい意見ってもんがあるのさ。