ペットショップ・ボーイズ

『ペットショップ・ボーイズ』とだけ書かれた(書いたのは自分だが)カセットテープを聴きながら本日2回目の仕事を終わらせていましがた帰宅。昨日一昨日からカセットテープも聴いているが、『モーツァルト・バイオリン・ソナタ』とだけ書かれたテープなど。これは自分が何歳のときのものかはわからないが、10代であることは間違いないが、その頃はまだ演奏者が誰かとか録音はなどに興味がなかったのであろう。だが、最近でもたまにメモし忘れてあとでわからなくなることもある。

それから中学生の頃、ということは80年代終わりくらいのNHK FM『ブラスの響き』のエアチェックで、イギリスの軍楽隊か吹奏楽団の演奏でミュージカル『オペラ座の怪人』、『キャッツ』からの音楽。ウィルヘルム・バックハウス演奏のベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番『悲愴』など。昨日はその頃の名ピアニスト特集のエアチェックで、アルフレッド・コルトーの演奏、1928年録音のシューマン『謝肉祭』、1929年録音『交響的練習曲』、録音年不明の『クライレスリアーナ』などを聴いた。それからリヒテル演奏でチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、ラフマニノフの協奏曲2番。いずれも素晴らしい演奏である。

私も理屈が多いといわれがちなのはわかるが、少なくとも音楽、その鑑賞についてはあまり御託を並べたくない。つまらない御託はということである。今朝方、吉田秀和がどこかで書いていた、批評家の評言が辛辣に過ぎると苦情を言うひとは、演奏家がほかの演奏家についてどれほど口さがない悪口を言うものか知らないのか、という意見を紹介した。その場合、演奏家は表現や創造をするものだから、その彼ないし彼女の御意見に実は深い理由や根拠があったとしても、それは二次的なものだろうし、論理的な説明は必要ないのではないか。

演奏家やファンの主観的な価値観や規範、批評家のこれがオーソドックスな評価という意見を超えて個々人は端的に自由だと思うが、例えば、リヒテルアシュケナージホロヴィッツの演奏を大変嫌っていたといわれている。彼ら二人もロマンティックな巨匠的表現に属するのではないか、と素人としては思うとしても、それでも、ホロヴィッツのときに俗悪で悪趣味にさえも感じられる誇張やとんでもないフォルティッシモを彼らが嫌い、その模倣は破滅的だと考えたとしても無理からぬことである。

そうしてここで上述のラジオのエアチェックで、コルトーには演奏家としての側面だけでなく学者としての側面もあり、『交響的練習曲』についてシューマンの遺作だか何かを含めた版を出版していたそうである。どなたなのかわからないが、吉田ではないようだが、解説者の方(遠山一行氏? わからない)がおっしゃるには、近年(といっても25年くらい前)ポリーニがそのヴァージョンを使って録音したと。インタビューによればポリーニコルトーを大変尊敬していたからだそうだが、まあ、世評や素人の意見としては、ポリーニの大変厳密な演奏スタイルはコルトーの奔放でファンタスティックなそれとは逆であるかのようにみえる。だが、そういう形式論ではないということではないか。

それからコルトーといえば戦時中の対独協力という問題を忘れることはできない。私は彼の伝記、評伝の類いもくわしく調べていないので、具体的にどういうことをしたのかまでは存じ上げないが、占領下のフランスで対独協力と戦後に認定される何らかの行為があり、戦後に一時期演奏活動が禁止というか制約されていたとのこと。コルトーは1952年だったか来日公演を行い、別府を訪れた演奏会でうちの母親が譜めくり役をしたそうで写真が残っている(紛失?)が、演奏活動の制約はもう解かれていたのか、日本への楽旅は許されていたのか。それはわからないが、その頃に録音されたショパンの24の前奏曲ソナタ第2番のカップリングを中学生の頃から私は長らく愛聴していた。それはそれでいい演奏だと今でも思うが、コルトーの最も脂が乗り切っていたとされる時期は20年代、30年代の戦前であるから、あまりCDでは持っていないが、テープやYouTubeなどでそういう素晴らしい遺産に親しんで参りたいと思った。

対独協力というよりも、ドイツ人ギーゼキングはナチだった、ナチスに入っていたそうである。ルービンシュタインの自叙伝に出てくるが、その頃ギーゼキングは意気揚々とルービンシュタインのところにやってきて「ナチ党に入った」と自慢したと。ルービンシュタインユダヤ人だからそのことを快く思わないのは当たり前だが、そういう社会性というか、こうしたら他人はきっとこう思うという想像力?がなかったのかもしれない。もちろんそういうことは、ギーゼキングの素晴らしい演奏とはなんの関係もないことで、音楽は音楽、政治は政治である。今日カラヤンウィーン・フィルを振った来日公演のDVDも観たが、カラヤンフルトヴェングラーを比べてどうのこうのともいわれるが、どんなことについても同じだと思うが、私は権威主義というか教条主義というか、そういうものは心底嫌いである。