メシアン

Yvonne LoriodによるOlivier Messiaen "Vingt regards sur l'Enfant Jesus"(Jesusのeにアクサン・テギュ)、"Petites esquisses d'oiseaux"、"Huit preludes"(preludesのeにアクサン・テギュ)、"Quatre etudes de rythme"(etudesのeにアクサン・テギュ)を聴く。朝3時過ぎに起きてそれを聴きながら入浴。いまも聴いているが、もう少ししたら1階に降りてピアノ。今日はポスティングの仕事の残りとメール便。軽く済ませてまた寝るが、なんだか疲れている。というか腰が痛い。

さてなにを読もうかなと思うが、『恐怖新聞』とか『パタリロ!』とかなんとか、昔懐かしいものしか手に取る気にならない。『脳力検定ジョーク集』とかいう薄い本は読み終えて、あまり面白くなかったが、そうすると明日にでも図書館に返却。鎌ヶ谷の図書館にも返しに行かないとな。それも明日だ。月曜日は図書館は休館日だから。

とかなんとかいろいろ考えるが、下手の考え休むに似たりと。だから、休んでいるのが一番よろしい。ぼくはそう思うのだが、違うだろうか。世の中、世情を観察しても、なにがなんだかと思うばかりである。昨日は相変わらずいつものように鈴木健太郎君を「口撃」しておいたが、いやはやというか。だが、そんなことはどうでもいいことだ。それよりも……。それよりも何なのだろうか。

口論はむなしいし、多くの争いもむなしい。とかいきなり仏教徒ふうになってるわけではない。そうではなくて……なにかほかにないものだろうか。実体というか実質というか。価値があるというか。なにか努力に値するものがあるはずなのだが。ぼくの場合はそれは社会性ではない。社会的に、世の中に向けてどうのこうのではないのだが。そうすると人間は変わらないというよりも、人間の基本的な性格や資質は変わらない、幼時に形成されてその多くは終生そのままだということだと思うが、ぼく自身は興味関心は極めて個人的なもので、個人的な体験とか経験とか、知覚とか感情とか、思考というか思念……意識の流れであるとか、何だとかかんだとか。そういうものにだけ向かっている。政治とか社会問題とか、または事業とか経営とか、はたまた仕事とか労働、生産とかではないのだが。そういうことは生きるためには止むを得ない側面があるとしても、なるたけ関わりたくないと思ってきたし、いまもそうだ。難しげな教条を持ち出さなくても、仕事、労働を通じてひとは社会化されるとか社会性を身につけるとか、他者と協同とか、他人に喜んでもらえるなどのお説教をしたがるひとには限りがない。それもまたそのひとの価値観だから自由だとは思うが、ぼく自身は、いまやってる請負の仕事は、賃金というか対価は安いが、ほとんど他人と関わらなくて済むというのが一番のメリットだ。上司も同僚も部下もいない。会社に出社する必要もない。自分の住んでいる地域を自転車で廻るだけだが、これ以上の仕事はないと個人的に思っている。