その活動家脳をやめないか

ぼくは細かいつまらないギロンが嫌いで、「その活動家脳をやめないか?」と思うことがしばしばある。おまえ自身が細かいじゃないかということはさておき(ぇ)、少し書いてみたいが・・・

政府自民党国民投票などの選挙権を得る年齢を18歳に引き下げる方向で検討しているそうだが、策略だとか陰謀だなんて意見がちらほら。まあ経験と見聞から運動や活動家なんてのは(議会制)民主主義や選挙なんてのがそもそもお嫌いなんだろうと思ってるが、そうそうご希望に沿った展開になるはずがないだろう。ぼくの考えでは、棄権したり与党に投票するとしても、若い人が自分の将来に関する決定に関与する機会を得るのはいいことである。

次に、まだ、都知事選の怨恨で細川護煕をdisっている蛇のような皆さんがいる。選挙はみんな負けたのだよ。そろそろ納得しないのか? しないんだろうが、そういう皆さんのことはもう知らない。

私見では細川に向けられるべき唯一の批判というか建設的な問題提起は、がっつり経済成長して再分配をという経済左派の主張だが、別に宇都宮健児氏もそういう政策ではなかった。今荻上チキ氏がそういう意見を主張されており、飯田哲也さんがエコロジカルな見地から批判されているが、有意義な討論なんてのはそるだけだろう。エコロジストの意見としては成長は有限であり頭打ちではないか、また地球環境への負荷ということだが、その対論も実際には相対的な数値に関わる政策的な修正の域を出ないだろう。そういうことだけでいいのであって、それ以上の怨念や恫喝なんか必要あるのだろうか。

最後に、先日「艦これ」で物議を醸した野間易通氏やその周辺とヘサヨ・リベラル・保守が、安倍晋三首相などに「死ね」と言っていいのかどうかで瑣末な神学論争を繰り広げている。なんなんだと思うが、御行儀の良くないぼくが思い出すのは、イラク戦争の頃の反戦デモで、set Bush fire!という惹句を掲げたものがあり、そのレポートというか感想文をホームページにアップしたら、2ちゃんねらーから「ブッシュを火にくべろとはなんと暴力的なのか?」と散々に言われたことで、当時呆れたが、今もやはり呆れ果てているが、暴力なんてのはそういうことなのだろうか。