雑感

Yamashita Eye & John Zorn "Naninani 2"を聴く。最近3.11以降特に自分の選択の正しさを実感しているが、身を退くのはものすごく正しい。是非そうすべきだ。別に普遍的な真実としてそう申し上げているわけじゃない。個人的にはそれが一番ということで、疑わしいことであるとか明白な誤りからは身を遠ざけるべきである。そうしてTwitterを読むと保守寄りであるとか、そうでなくても左派ではない(左派から攻撃されている)人々の意見のほうに頷ける。先程読んだ伊藤剛氏(この人のことをよく知らない)とか菊池誠氏とかである。要するに真偽や正邪はイデオロギーとは関係ないわけだが、そういうふうに申し上げると思想や理論(批判的な思想や理論ということです)を生齧りした人々は、イデオロギーに染まってない純粋無垢な思想や理論、認識などあるはずがないだろう、と半畳を入れてくるだろう。なるほどそれはその通りだが、そういう問題ではない。例えば、脱原発というよりも反被曝、放射能被曝の危険がどのくらいなのかというテーマについてはまさにイデオロギーは関係ないし、右も左もないだろう。そういうところに運動関係の活動家やそのシンパは全員右に倣えをして、大きく誤っていませんか? いや、誤ってるかどうかはわからない。俺のほうが間違ってるかもしれないからな。それはそうだが、3.11以降、エコロジストや左翼・左派からの距離がどんどん遠くなっていく。社民党社会民主主義者からもだ。ラディカルは言うに及ばずで、妄想的な脱原発/反被曝も言うに及ばずだ。

要するに俺は滅多なことでは信じない、信を与えないということだが。昔からそうだが、最近数年はますますそうだ。そうしてそれでいいし、ますますそうあるべきだと思っている。このところのヘイトスピーチに反対する会を巡るあれこれにしても、その中の人数人を俺は果たして知っていたのだろうか。94年の段階から、大学の知り合いとかでさ。何も知らなかったんじゃないか。とりあえず現時点で主張の意味がわからないと思うわけだな。

だが、ヘ会のことは関係ないから飛ばそう。話を2011年の3.11直後に戻すが、あかねによくいらしていたhizzzさんというフェミニストとの会話(Twitter)を思い出すが、彼女と俺とほかにあと誰かでTwitterで話していて、彼女は、たんぽぽ舎などの反原発団体の主張には誇張も多いから物理学などを一から勉強すべきだと言っていた。俺はそのときはそれは余りに迂遠だし、自分にはそこまでできないと思った。今でもそう思うが、でもそれが結局は早いし、そこまでできなければ疑わしい意見は一切信じないほうがいいと思う。それが結論だ。

ところで、ピアニスト関谷友加里さん。《大人になるって素晴らしい!》──俺もそう思ったんだ。だから、東南アジア某国(タイ)に旅行してみた。

どうしてって?

タイ人になるって素晴らしい(ぇ

Naninani II

Naninani II