雑感

昨日聴いたのは小曽根真の『ウォーク・アローン』とか。夜はEddie Costa "The Hause of Blue Lights"を聴きながら寝た。先程起きてLennie Tristano "The New Tristano"を聴いている。昨晩の書き込みについてだが、僕は急進的な意見が嫌いなのだろうか? 勿論申し上げるまでもなく嫌いである。保守反動的な考え方で申し訳ないが、嫌いなものは嫌いである。急進的なというかラディカルなというか……そういう意見を持つのは自由だが、他人が同意しないときに強制する権利がどうしてあるのか? 一定の合理性や正当性がもしないならば、或いは説得力がないならば、他人を同意させたり、言動を変えさせることはできないのですが。

批判や論評などをごちゃごちゃ言ってないで「行動」しろよという声も聞こえてきそうだが、上述の意見は誰かの「行動」を非難したものではないが。行動というのは現場にでもいないと僕にはわからないので、ニュース種にでもなって報道されたらまた別だが、そうでなければわかりませんので、上述のことは言論、それも僕が読めない言論にはコメントのしようもないので、自分が読んでいるインターネットについてですが。

ただそういうことを申し上げても致し方がないという気が強くするわけだが、というのは、例えば幾ら論理(?)で武装していても、実際の動機は感情である場合がほとんどだろう。意志というものでさえなく、それ以前に感情ね。「言うこと聞くよな奴らじゃないぞ」というのがあったが。昔のECDか? 権力とか権威とか、または他人が言うことが正しいかどうか以前に「従いたくない」というのが最初にある。そのことさえも別に悪いことじゃない。自分の正当性を滅茶苦茶に主張して他人たちに同意を強制しなければの話です。とりあえずはそういうことだ。

それから活動家やそれに準ずる人々は「行動せず批判ばかりしているヤツは最低だ」と言いたがる。なるほどそうだが、マイナスの意義しかない行動になど参加しないほうがいいのは申し上げるまでもない。