雑感

ピアノも弾いたしさっさと寝ようと思ったのだが、気になることがあるからメモしておく。それは今日の放送で話したヴォルテールの『カンディード』のラストの意味についてである。今手元にある千葉県立西部図書館から借りてきたVoltaire "Romans et contes" (Gallimard)では233ページ。"... mais il faut cultiver notre jardin."ということだが。自分の庭、畑を耕さなければなりません。ヴォルテールの中で恐らくは最も有名な言葉ではないかと思うが。私が想い出していたのは中野重治の有名な『村の家』の勉次の父親・孫蔵への科白である。「よく、わかりますが、やはり書いて行きたいと思います」。

──これも引用に正確を期したいと思ったが、私が所有している文学全集の中野重治の巻には『村の家』は入っていなかった。上述は柄谷行人『終焉をめぐって』(講談社学術文庫)226ページ(「死語をめぐって」という論文)からの孫引きである。中野のこの小説を巡っては長い議論と論争の歴史がある。例えば吉本隆明の『転向論』においては『村の家』に特権的な位置が与えられている。柄谷の上述の論考はその『転向論』に異議を唱えるものである。

時代も状況も立場も全く違うから、昭和初期(戦前)におけるマルクス主義者の転向そのものに拘っても致し方がない。また、ヴォルテールからの連想も恣意的である。それは認めざるを得ない。私はどうして『村の家』のことを想い出したのか暫く自省・熟考してみた。そうすると、《筆耕》という慣用表現が"cultiver"に引っ掛かってきたのではないか、と思い至った。だがしかし、そういう連想や言葉遊びもまたどうでもいいのである。

重要なのは──いや、重要ではないかもしれないが、戦前の左翼の転向に限らない人間の主体性の問題である。ここでは厳密な哲学的概念を用いる必要はないので、漠然と自己とか自分なりと言い換えてもいいが、そういうものの問題である。手前味噌で恐縮だが、私は非常に屡々自己であるとか絶対の意志を断乎貫徹するということを申し上げている。だがしかし、そういうことに自分以外の外界や他者・他人、社会などの抵抗や物質的重みがあるということを否むことは誰にもできないであろう。人間は「我は我なり」と叫んで生まれてくるものではない、というばかりではない。生まれてから死ぬまで自分以外の他人や外界(環境)との相互作用や相克・葛藤のなかでしか生存できないのである。私が何かを願望したり意志したら、それが魔法とか超能力のように無抵抗に、即座・瞬時に完全に実現されるはずがないのだ。だから、「絶対」であろうとなかろうと構わないが、自らの意志や意向を少しでも実現しようとすれば、それは必ず他者の抵抗に出会い、または拒絶に出会い、折衝や回り道、または争闘なしには済まされないのである。

余りにも当たり前な常識的真実でしかないと思われるだろうし、実際その通りだが、そういうことで申し上げたいのは、主体性とか自己とか意志などなどは、饒舌な(空疎な)知識や概念的思弁的図式の誘惑、また、様々な情に訴える泣き落とし、もうやめておけとか、恥ずかしいじゃないかなどの搦め手で迫る誘惑を斥ける、「ですが、自分の庭を耕さなければなりません」、「よく、わかりますが、やはり書いて行きたいと思います」という決意以外によっては表現されないのだということである。カンディードも勉次も何も大それたことを決意表明しているわけではない。自分の庭や畑を耕すとか、またはただ単に(筆を折れという圧力に抗って)書いていきたいというだけである。だが、我々はセカイ系であろうとなかろうと、個々人として、またはせいぜい個人としての自分と、それの多少の繋がりのなかで、そんなに大それたことなどできるはずがないのである。それは世界遍歴とか最善世界とか、革命運動などからみれば端的な後退であり縮小であろう。その否定面やマイナスは否めないのである。それはそうだが、そういう追い込まれたありようや状況において、それでも圧力や誘惑に屈しないのだという小さなところからしか、意志の実現はありようがないのである。私が申し上げたかったのはそういうことであった。

20年前から変わらない私の意見はそういうものだが、そういうことでは、これも以前から度々繰り返し申し上げているが、『後退青年研究所』をはじめとする50年代の大江健三郎、そうしてデビューしてから『天国が降ってくる』までの初期の島田雅彦の諸作を絶えず再検討し続けなければならないと考えている。