雑感

あれから近藤等則×DJ Krush『記憶』を聴きながら大島弓子毎日が夏休み』、魔夜峰央『横須賀ロビン』を讀んだ。『パタリロ!』も数冊讀み返す。さうして千葉銀行にお金を引き出しに行つて來たが、待ち時間に女性週刊誌で藤圭子についての記事を熟讀。千葉銀行からマルエツ、ウエルシアと廻るが、冷房が効いて涼しいマルエツでソフトクリームを購入して美味しく食す。ウエルシアで歯磨き粉や焼酎、煙草を購入して帰宅。店のシャッターを開け看板を出す。ネオンの電気看板も点灯。道中太陽肛門スパパーンの『テロリストブッシュと人間』を聴いてゐた。今は自室で寛ぎ、ノートパソコンを立ち上げてワードパッドでこれを入力しながら、阿部薫の『暗い日曜日』を聴いてゐる。さて、とりあへずこれから一時間程何を聴き何を讀もうか考へてゐるところである。事務所から萩尾望都『メッシュ』の二巻・三巻・四巻及び芸術学関係の本、山口昌男『文化と仕掛け』を持つて上がつたが、汗も掻いたし草臥れて何をどうする氣にもなれない。阿部薫をぼんやり聴きながら今後のことを考へるが、たゞひたすらに不愉快、不快の念ばかりが昂じるのであつて、本当に腹を立てゝゐるが、腹を立てゝゐるといつても、特に立腹すべき何もないのだが。たゞ単に空氣のやうに纏わり着く不愉快。祓つても祓つても拭い去ることの出來ぬやうな。正体も分からぬやうな何か。一体何があれば自分は不愉快を感じず満足するのだらうかと少し考へてみたが、それは矢張り何と云つても金である。金とそれから新しいパソコン。頻繁にフリーズしたりしないやうな。ワードもきちんとインストールされてゐるやうな。しつかりとした豪華なオーディオ。DVD。……なアんだ、贅沢品ばかりぢやないか、と自分で思わず失笑するが、私は消費社会の子であり、さうして今猶消費社会が非常に大好きで、貧乏がどうのと云ふことだけでなく、消費そのものを堕落だと云いたがる連中には激しい反撥と嫌悪を感じてゐる。私は今のまゝで、今と云ふか80年代90年代からずつと同一ないし類似した生活であつたこの暮らし方で百パーセント満足だ。これ以外の何ものも求めない。今の生活、今の暮らしがいゝのであつて、だから私は保守派であらう。革命と云ふか、革命と云ふ迄もない変革も一切望まないのだから。現状維持で結構なのです。どうも現状を継続することに御不満の人々が非常に数多くいらつしやるが、それはそれでいゝのだが、さう云ふ人々が北朝鮮を礼讃するのを聞くと不吉な感じがする。北朝鮮への偏見があるかないかとか、日本の自民党政権も抑圧的ではないかと云ふやうなことではないだらう。私は非常に素朴に、さう云ふ連中は報道を観ないのかとか、ニュースやルポルタージュその他を一切讀まないのかと思ふが、私としては自分が現在得ている範囲の情報や知見からは、日本の体制が北朝鮮のやうに変つて欲しくないし、北朝鮮以外の諸々の國々についても非常に批判的であり懐疑的である。別に日本國を礼賛する大日本帝國臣民とか奴隷根性などではありませんよ。自分なりに知識や情報を綜合して、それから客観的に判断する限り、さう云ふ國々をモデルにして日本の社会体制を変革しやうとしたら、現状よりも遥かに悪くなるのではないか、と思わざるを得ないと云ふことであり、勿論私は政治や社会科学、または市民運動の専門家ではないのだから、上述の判断には間違いや不正確な処もあるかもしれませんよ。それはさうだが、今のところ現状では私はさうとしか思へないと云ふことだ。別に皮肉や厭味を申し上げてゐるといふことではなく、自分なりの客観的判断といふか合理的判断といふか、私にはさうとしか思へないといふことである。世の中には様々な人々がいる。かつてのソ連を懐かしむHOWSの人々であるとか、北朝鮮を理想化する人々であるとか。中国とか。または、キューバベネズエラを礼讃する最近の左翼とか。或いは、ブータンを讃美するエコロジストたちなどだが、私としては、さういう理想を少しも信じてゐないのですよ。さういふわけで現状を変更するよりは現状維持のほうがましではないかと思ふということだが、その判断には間違いがあるのでせうか。これは9.11があつても、2011年に3.11があつても、少しも変らないし、むしろ強化されているのですが。最近共産党が少し議席を増やしたとはいつても、やはり社・共(特に社民党)への風当たりには厳しいものがあるが、さうするとその空隙を衝かうとしたのが2012年の小沢派、2013年の山本太郎三宅洋平だが、私は不愉快・不快と嫌悪以外の何も感じない。本人達も支持者連中も全員ただ単なる軽挙妄動でしかなく、もう呆れるしかないのだ。私はかういふ連中に日本社会を変革などして貰つては絶対に困ると思つた。それはラディカルな人々、極左も同じである。「極左」は体制側からの呼び方で差別であると本人達は仰つてゐるが、だがしかし、ではどう呼べばいいのか是非教へて頂きたいものだ。私は「ラディカル左派」と云ふやうな呼び方をよく使うが、然しいかにも煩瑣である。……とか、かういふつまらないことばかり書いてゐて時間を使つてしまつたよ。最後に小噺を一つ。「最近保田與重郎を讀んでるんだ」──「それは助平だなあ?」──「どうして?」──「だつて、『体感詩人の第一人者』」──「えつ?」