雑感

今何時になるのか、このノートパソコンの時計の時刻は14時59分を表示してゐるが、だが然しこのパソコンの時計は大幅に遅れてゐるのを承知しているので、今はきっともう15時10分か15分位なのであらう。別に急ぐ旅でもなし、急いで為ねばならぬ用事なんぞもないのだから、のんびり構えてゐればいゝと云ふものである。今しがた三咲のほうに散歩してリブレ京成Big-Aに行って來た。リブレではいつものやうに鶏の皮などを購入。日替わり特売のカレーも買った。それから今晩のおかずを一品。さうしてBig-Aでは特に買うものはなかったが、私が歩きながら食べるソフトクリームを79円(安い!)で購入。帰り道にほんの少しだけだがポスティングをして(勿論自分の教室のである)、帰宅してからまた事務所/倉庫を少々眺め、2階で今お茶を一服しながら、レスター・ヤングの『プレジデント・プレイズ・ウィズ・ジ・オスカー・ピーターソン・トリオ』を聴いてゐる。さうして私のいつもながらの1980−90年代研究、いや、研究というか懐古というか、想起というか……先日書き落としたのは吉本隆明の『大衆としての現在』(北宋社)を再読したことだが、これは84年だな。──それに限らず当時のものをあれこれ出して來ては眺めてゐるのだが、例えば椎名誠『フグと低気圧』(講談社文庫)。単行本は86年、文庫化は89年である。干刈あがた『黄色い髪』(朝日文庫)。文庫は89年だが単行本だか雑誌連載はその数年前だろうな。皆さん干刈あがたのことを憶えてますか? そうして彼女がこの小説を書くにあたって参照したのは、昭和50−61年の若い死者たちの遺書や生活記録の数々……。それは私が今読んでも胸が痛むものである。《しかし、私の最後のお願いですが、直接の原因だけを勝手に推測して、自分の考え方のみで「たいしたことないのに」と判断を下すのだけはやめて下さい。感じ方、考え方は人によって違うのです。私はたとえようがない程、苦しく、悲しかったのです》

村上龍坂本龍一『EV. Cafe 超進化論』(講談社文庫)。これは対談は88年、刊行は89年だな。糸井重里『牛がいて、人がいて』(徳間文庫)。単行本は83年、文庫は86年。いとうせいこうノーライフキング』(新潮文庫)。単行本は88年だね。久美沙織『MOTHER』(新潮文庫)。平成元年って西暦でいうと何年だ? そのままにしておくが。糸井重里『私は嘘が嫌いだ』(角川文庫)。単行本は昭和57年、文庫は昭和59年。南伸坊『冗談ばっかり』(ちくま文庫)。1986年ね。小林信彦『1960年代日記』(ちくま文庫)。単行本は1985年、文庫は1990年。

まアざっとかう云ふものを讀み返してですね。漠然と過去……《あの頃》の気分や空気感を回復しやうと努めてゐる訳ぢやが、それは、例へば『パタリロ!』全巻を毎朝何度も何度も讀み返すと云ふやうなこととも繋がつてゐるだらう。過去……それは何処にあるのか分からない。あるのかないのかも、最早決定的に失われてしまつたのかどうかさへも分からないのである。……だが然し、また土曜日に図書館が開けばあれこれ新刊や、または古典であるとか珍しい資料・史料を讀み漁るのだし……手持ちの膨大な書籍の中からも古典もあれこれ讀んではゐる。今興味関心を持つてゐるのは、嘗ては余りそれほど興味がなかつたやうな著者や作家たちについてであつて、今思い付くまゝに二人挙げれば永井荷風川端康成である。私の反倫理的な気分は政治や社会のみならず文学や芸術、哲学・思想を含めて全般に及んでゐる。また日常生活も。だが倫理を拒否する、無化しやうと努めると云ふことでは元々の吉本の意見に戻つただけかもしれぬ。だから私は、転向と云ふやうな考に違和感が絶へずあるのだが、と云ふのも、一定の何か、立場から転向するとかしないと云ふよりも、元々さう云ふ意見の持ち主だつたからである。倫理は無化すべきであると云ふ。さうしてさう云ふ意見なり立場からすれば、以後の20年、30年は目が眩むやうな遠回りであり廻り道でしかなかつたと云へるのだ。私はさう思ふのであるがどうであらうか。上述の意見に、柄谷信者も左翼、マルクス主義者も(恐らくは共産党員も小沢信者も、脱原発/反被曝論者も)軽蔑感を抱くであらうが、だが然しそんなことは一切氣にしないのだ。私は私の道を往く。さうしてそれだけである。さう云ふ決然たる決意……どうも冗語のやうにも響くが、さう云ふことである。……絶対の意志……断乎とした拒絶の意志……。天邪鬼と云ふか臍曲がりと云ふか。不断の反抗──と云つても、他人たちと手を携へない以上大したことはないのであるが。拒否、さうして拒絶の連続。……それは現實的には、ただ単に地域に孤立した偏屈な個人と云ふことにしかならぬのであらうか。どうも数十年観察と経験を続けるとさうであるやうに見へる。だがそれで構わないのである。……私は自分がやりたいやうにやるし、意志をこれからもどこまでも貫徹してゐく。さう云ふ所存である。……だがさうすると、それは、ただ単に地域の変なオジサンと云ふだけでなく、この間検討して來てゐるやうな極右ファシストに接近するのであらうか? 例へばソレルであるとか北一輝などである。それはさうかもしれぬし、さうではないかもしれぬ。だが、どちらでも構わない。そもそも最初から私は、何か正しい妥当な立場に立とうと、さう云ふ意味で格好を付けやうなどと思つたことは一度もなかつた。例へば何らかの正しさ、《先験的な》とか《ア・プリオリな》とか、《超越的な》・《絶対的な》などの半端な哲學用語で粉飾する必要はないのだが、要するに、検証されざるあたかも公理のやうな正しさを設定して、それの枠に自分を合わせやうとするなどの窮屈さは私には無縁なのだ。であるから、絶対のエゴイストであり、また、さう云ふものでしかあり得ないのだ。……絶対の意志……頑固な自我……絶対に放棄されることのない《自分》・《自己》・《我》……。私はさう云ふ偏屈と頑固に定位してゐるし、さうしてそれは遥か昔から、物心付いた頃からずつとさうである。38歳になる現在に至るまでさうなのだ。であるからして、難しい社会科学だの何だのではなく、政治であるとか経済なんかではなく、自然科学では勿論なく、この絶対の意志なり自我ということだけが唯一の主題であり、大事で大切なことであつたと振り返つて思ふのである。他者であるとか他人であるとか、民衆(何だそれは?)などが何だと云ふのか? そんなものは私は知らない。また知る必要のないものだ。私は自分自身であり、且つ又自分自身を貫徹するだけであり、それ以外のことは何もせず、望まず、一切の妥協はあり得ないのだ。さう云ふやうな絶対のエゴイストである。それをファシストと呼びたければ勝手にさうすればいいが、だが私はさう云ふものを自称したことは一度もありはしない。

と、少々長く展開してしまつたが、3.11以降の現状に就いても少しく触れやうと思ふ。それは私にとつては極めて不愉快である。縷々申し上げて來た通り、そもそも80年代、90年代から、さらにゼロ年代も、ずつと延々と不愉快は続いて來たが、今回の東日本大震災福島第一原子力発電所事故以降の日本社会の不愉快と云ふのはちと度を越へてゐる。それは何処からどう見ても破綻してゐるとしか思へないカルト妄想の跋扈だけではない。私自身の今展開したエゴイズムから申し上げればそれはかう云ふことだ。2011年の段階においても2013年の現在においても、自分自身の生活を大きく大幅に変へねばならぬ必要を一切全く感じないと云ふことである。私の不快・不愉快は殆どその一事に尽きてゐる。例へば私は千葉県船橋市に住んでゐる。関東の放射線量がどうのとか、被曝リスクがとか、だから、九州・沖縄や、果てはフィリピンやパリや南半球に移住・避難・疎開すべしという煽動が余りにも多い。だが然し、私はこの間ずつと考へて來て、そんな引つ越しをせねばならぬ理由など一つも思い当たらないのである。だから、今現在も3.11以前と何ら変はらぬこれまで通りの日常生活を継続しているが、それで悪いとか、問題があるとか、危険であるなどとは一切思はぬのである。

それはおまへ一個の問題ではないか、社会問題とか政治と云ふものは違うだらう? と人は反問するだらう。だが然しそんなことが何だと云ふのか? 私は、たとへファシストの疑惑が掛けられるのだとしても、基本的には一個の自由主義者である。それを否定する、例へば鈴木健太郎氏などもゐるであらうが、そんなことはどうだつていゝのだ。自由主義者として私は、今現在の日本國憲法基本的人権を認めてゐるのだという立場である。即ち、転居や移動は個々人、私人の自由なのである。さうしてそれだけである。別に新自由主義的な《自己責任》などを主張してゐる積りは全くない。現在の憲法が保障する範囲で私人には自由があるというだけである。だが、それを超へてしまつたらどうなるのか? つまり、避難に政府が補助金を出すとか保障するとか、強制避難などの類だが。それに就いては私は、大學その他の研究機関などの適当な権威が一定の手続きを踏んで現状の評価を確定したうへで何らかの政策が決定せられるべきだと云ふ、これ又極めて常識的と思はれる立場を選択してゐる。上述の主張や立論を自分自身で吟味してみても、どこにも、ファシストとか極右とか、ネトウヨとか反・反原発とか、大日本帝國臣民であるとか、奴隷根性とか、さう云ふ謗りを受けるやうな要素はないと思ふのだがどうだらうか。勿論皆さんの感想や意見は皆さんの自由である。あくまで私はかう思ふというだけのことである。