雑感

生徒が9時半にやってきてドラムの練習をする間、自室で『ソニー・ロリンズネクスト・アルバム』を聴く。見るとこれは1972年の録音である。ウエルシアで煙草を一個親のために買ってくるが、事務所で本を整理して筒井康隆『にぎやかな未来』(角川文庫)を探し出す。お目当ては「お助け」という題名の短篇。みると173ページから182ページまでちょうど10ページだね。この文庫本の初版は昭和47年6月30日で、僕が持っているのは昭和55年6月30日発行の29版である。星新一が解説を書いているが、なるほどそうだったっけな。《本書に収録してある「お助け」が、筒井康隆の商業誌第一作である。江戸川乱歩編集の「宝石」に掲載された作品。この幕切れは、はなはだしく残酷である。だれにも気づかれることのない一瞬という時間のなかで、じわじわと救いのない死におちいってゆく。/世に残酷物語は数々あれど、これでもか式であったり、サディズム的であったり、扇動的であったり、政治的であったり、さまざまなよけいな色彩がくっついている。それらとちがって「お助け」には純粋な残酷がある。無色透明な残酷である。/無色であるがゆえに、読者はどう受けとめたものか迷い、寓意をはかりかね、妙にいらだたしい気分にさせられる。彼の作品の特色のひとつが、すでにここにあらわれている。》

……そんなことはどうだっていいが、朝は少々Ustream放送をしてピアノを弾いた後、ずっと『パタリロ!』を読み返していた。この一週間でもう3度目だが、ほとんど毎朝読み返すことになるだろう。筒井康隆以外にも書庫をひっくり返してあれこれ持って上がったが、例えば、大原まり子『ハイブリッド・チャイルド』(早川書房)で、僕が持っているのは1990年発行の初版である。「あとがき」を読むと、この時点で彼女には一定の回心があったようだが、僕はそれに同調したことはこれまでただの一度もないし、これからもないだろう。上述の作品は『メンタル・フィメール』や『電視される都市』などと読み併せたいし、別の作者だが、柾悟郎『邪眼(イーヴル・アイズ)』(ハヤカワ文庫JA)も再読したい。「柾」は「まさき」と読むようだが、珍しい苗字だね。これは1987年だが、当時読んだサイバーパンクSFの中で一番良かった。というか個人的に好きだった。例えば神林長平よりも。それもそうだが、神林も再読したいものである。

それから日本の小説ではないが、大久保康雄が訳して新潮文庫に入っている『ヘミングウェイ短編集』の(一)と(二)、また島田雅彦の数々の作品も出してきた。もう頽廃的退嬰的になっているが、どうも新しいものを読む気にどうしてもなれなくて、昔読んだものを読み返したいということしか思わないのである。そうしてまた読書以外のことをやりたいとも一切思わないが、僕は元々子供の頃からこういう人だったのであり、それは一切変わりようがないのだ。