雑感

2ちゃんねるの悪意には慣れてるが、それでも毎日チェックして一々読んでいてですね。やはりうんざりするね。とにかく貶めたい。やっつけたい。ですから、お前は音楽を教える資格がないであるとか、ひいては私の自宅の井戸水が放射能汚染されているだとか……。でも繰り返しになるが、僕は慣れてるんです。もう10年以上になるからね。よく厭きないものだと感心するくらいで。感心もしませんが。いやはやという感じだね。2ちゃんねるを読みながら矢部史郎氏のブログの野田佳彦は被曝顔だとかいう失笑するしかない記述を想い出したが……。反被曝の連中ってのはこうなのかね。みんながみんなそうではないだろうが、放射能が日本的な穢れのような半ば宗教的なというか、審美的なというか……。そういう漠然とした感じ取られ方をしているという一ノ瀬正樹の意見は正しいんじゃないかな。武田鉄矢文化放送のラジオで一ノ瀬氏の著書を取り上げたときも、武田氏はそこに興味を持っていたようだが。放射能ってのは物理的な実在であって、無味無臭で目に見えず、聴こえもせず……。そうして言葉の通常の意味でキレイでもキタナクもないわけだが。そうであるはずだが、まあ、日本的なというか呪術ワールドに捉えられるとわけのわからぬ災厄や祟りを齎す何かに翻訳されてしまうのかな。悪とか闇の力とか呪いとかね。宗教的な、または魔術的な威力とでもいうのか。僕は若い頃宗教の連中にそういうアレで脅されたことがよくありましてね。それを想い出したよ。脅した連中は詐欺だか何だかで刑務所に送られたけどね。その後。

……まあそんなことはいいんだ。それよりも……とりあえずあったことや起きたことを書いていくが、まず手持ちの『パタリロ!』を60冊くらい一気読みした。先日も読んだから2回目だが、これは日課というか習慣になりそうだな。僕のほとんど唯一の楽しみですよ。過去との……30年前との再会だな。30年は大袈裟か? それでも20年くらい前かな。そうして何をしたか……ウエルシアに買い物に行ってきた。帰宅してオムライスを食べてさ。シャワーを浴びて。すっきりしました。今12時くらいでしょう。正午過ぎか。今日はレッスンはないし、レッスンは向こう10日くらいありませんから、午後は音楽でも聴きながら船橋市文学賞の応募原稿を書こうと思ってる。午前に市役所に電話したんだ。テキスト文書でもいいのかってね。それで結構だということだったから、まあそれで書いてみよう。パソコンの問題も解決しなきゃいけないが、もう何年越しの不調……だけれども、とりあえず金はないし、手段や道具や環境を選り好みせず書くべきだからね。毎日余りに暇なので簡単なバイトを入れようとしたが、僕らが都合がいいような仕事・地域・時間は何もなかった。当面どうするのかということだが、特にアイディアはないが、売れるものは売るのかな。倉庫とか土地・家屋、店舗とか。そうしてどこかに引っ越すとかだが。都内か埼玉か、東北か沖縄か九州かなどだが、とりあえず両親が生きている間はそれは面倒臭いし、彼らを見ているとまだまだ元気に長生きしてくれそうですよ。ですからとりあえず船橋でちょっとだけ頑張るほうがいいが、頑張るって言っても生徒は少ないし、もう一度飲食店を開くのもね。改装を含めて、保健所の営業許可を取り直したり難しいしね。開業資金だってどこからも借りる当てはないし。それに今後は借金もしたくありませんしね。

40近くなって社会経験もスキルも意欲もないのだから、今後どうこうということは難しいよ。これまでも難しかったが、今後はさらに難しくなる。僕はそういうものだと思って諦めてるが。個人的には、私的には「そういうものだ」というアレしかありませんね。もっと別の選択があったのではないか、というようなことは思わないし、思っても致し方がないね。ただ僕は昔から、20年前、30年前から瞑想的というか夢想的だったんだ。夢想的というのは文字通り空想に没頭すると何時間でもそのままだという意味ですが、そうやってずっと瞑想なり空想に耽っていた。ほとんど一日中ね。そういう子供だったし、長じてからもそれは全く変わらず、現在もそうであり、『パタリロ!』などを読んでるのが一番幸せで楽しいということですね。小学生の頃から変わらないんだ。だから高校生の頃とかですね。『パタリロ!』全巻の註釈というか……そういうものを膨大に書いて人生を過ごしたいといつも思ったりしていた。だけどそういうことにはならなかったし、長らく倉庫に眠っていてさ。コミックスが。読み返してもいなかった。最近頻繁に読み返しているわけですが、懐かしさというよりも疲労の印象が色濃い。コミックスの中では永遠にパタリロは10歳、バンコランは27歳、マライヒは17歳だが、それを読んでいる僕は歳を取るのだ。昔は小学生だった僕も、あらゆる学校をもう出てしまい、いまや38歳。40の坂を越えようとしている……全く無意味に。《全く無意味に》と思わざるを得ないところに疲労を感じるが、まあ最初からとりあてて人生への期待も何もなかったということだろう。読書が好きだというだけで。それも子供の頃、小学生の頃とかは、漫画のほかはSF小説とか推理小説、冒険ものとか伝奇ロマンだな。そういうものばかり読んでいたし大好きだったんだ。そうして社会とか世の中とかは大嫌いだった。今も大嫌いだ。そうすると、2ちゃんねらーが揶揄していたように、中二病というよりももっともっと遥かに幼児的なのかもしれないね。子供の頃から一切変わっていない。長じてからは世捨て人であり、隠棲・隠遁であり、人間廃業者……。人間廃業というか、世間で他人、他者との交際はしないわけだね。多少ネットをやるとしても、そこでも会話はほとんどしない。大体自分一人でいるか、会話するとしても家族くらいでさ。地域にも友達も知り合いもいないし。生徒も減ってきているしね。バイトもやってないし。社会運動や政治政党関係の活動、宗教、ボランティアなんかも一切やっていないしね。非常に孤独なものだが……孤独というよりも完全に孤立しているが、だがそれでいいと思っている。それでいいというよりもそれ「が」いいんだね。僕は一人自室で音楽を聴いているのが好きですし、CDは1万枚以上あるんだ。YouTubeも含めて音源は無限にある。本だって活字も漫画も一体何冊あるのか分からない。万じゃきかないだろう。とにかく沢山あるし、自宅のそばには図書館もあり、たて続けに読み続けている。書庫も含めて、棚も何も全部読み尽くしたいという勢いだ。そこまでのことはハードな仕事もなく、それ以外の活動や運動も家庭生活も全く何もない無為な暇人にしかできないのだろうか。勿論いいことではないと思うが、自分がやりたいことをやっているのですから、それ一番いいだろうね。そうしてこうやってですね。ブログ(はてなダイアリー)であるとかFacebookTwitterなどを書くのは気楽にできるのだが、いざ、小説とか作品とか思うと緊張して一行も書けなくなってしまうのだな。これは困ったものだよ。だから、作品にしようとか形にしようなどと思わずにとにかく読んで書いてを繰り返すのがいいと思うのですけれどもね。大体そのくらいかな。では、ここで一旦休もうか。Charlie Parker "Swedish Schnapps + The Great Quintet Sessions 1949-51"を聴いている。