雑感

午前2時に起床してサラ・ヴォーンが亡くなったときに出た追悼ベスト盤『ザ・ポートレイト・オブ・サラ・ヴォーン』2枚組を聴き、そうしてカーメン・マクレエの『ザ・グレート・アメリカン・ソングブック』2枚組を聴く。6時過ぎから少々ピアノを弾いて、今2階でゴンサロ・ルバルカバ・ソロ・アルバム『ベサメ・ムーチョ』を聴いている。最近のジャズピアニストのソロアルバムはこういう人が多いが、何だかクラシックを聴いているような感慨に襲われるが、そういうことで想い出すのはアキコ・グレースさんの『ピアノリウム』である。まあそういうことはいいのだが、ヤカンでお湯をガスに掛けてお茶を飲み、それからカップラーメン。7時、8時くらいになったらシャワーかな。そうして気が向いたら図書館に行く。向かなかったら行かない。夕方4時半くらいからはレッスン。というわけで東京ジャズには参れないが、致し方ないだろう。これから何を聴こうかなーとも思うが、ピアノは2日ぶりなので今日は何度も何度も長い時間演奏しようかなと思う。弾かないと腕、技量が落ちるしね。

それにしても、最近Facebookで知り合った女性のミュージシャンの方(彼女の音楽をよく知らない)のシェアを介してNagi Wind(デマゴーグ!)の画像と文章を論評してひどいと思ったが、反被曝論者ってのはどうしてこうどいつもこいつも論理に弱くておつむも弱いのかね。呆れ果てたが、そうするとさ。福島差別反対を口実にした反・反原発だなどとレッテルを貼られるわけだが、それは違うだろう。福島県民でもないのにそんなことを訴えやしないさ。単に合理的にみてバカらしいということだ。

まあ僕の非常に厳しい意見は知り合いであろうとなかろうと、ミュージシャンであろうとなかろうと一切変わらないわけだが、そういうことは関係ないからね。だけれどもさ。我々首都圏というか、東北以外の人間が福島県産の食料品とか農産物とか、魚とか何とかを食べると、福島県の子供たちが放射能を食べさせられることになる(なんで?)。我々が福島に観光旅行に行ったら、福島の子供たちが逃げられなくなる(なんで?)。僕にはどうしてなのか合理的な理由がさっぱり分からないが。そんなことばかり言ってるから反被曝や一部の脱原発キチガイだって言われるんだろう。僕だってそう思うもの。

僕は実は内心優しい心情を持っているが、とりあえず外的には苛酷な振りをしているわけではなくて、元々端的にこういう意見だというかね。だっておかしいだろう。上述の意味不明に疑問を呈したり疑ったら反・反原発になるのか? 全くわけわからんが。世の中どういうことになってるんですかね。