雑感

今日はてらおストアで米を買ってきた後、体調もよろしくなくてずっと寝ていて、先程起きてきたところである。猛暑で汗を掻いたから、起きてから冷水シャワーを浴びた。今日は何を読む気も書く気もしなかった。すっかり無気力だが、今も何もしたくないのだが、少々ブログを更新してみようと思う。

まず、帰宅してからほんの少しだけ(数分間)テレビ東京の午前中の政治ニュース番組で、社民党福島みずほ前党首と村山富市元総理が出演しているのを観た。ちょっとしか観ていないのだが、印象に残ったのは、村山氏が自身の政権の時の自衛隊合憲判断の正当性を力説していたことである。それは彼の話をよく聞きながらそれはそうかもしれないと思った。ただそれはそうだが、1995年から20年近い歳月が経過してなかなか大変な状況になっているように見受けられるが。

というところでは、一昨日千葉県立西部図書館から借りてきてまだちゃんと読んでいないが、海渡雄一氏と福島みずほ氏の共著『脱原発を意志する 政治と司法を変える意志』(明石書店)をもうちょっとちゃんと読みたいと思った。彼らの脱原発論とは論調がかなり異なるかもしれないが、昨日船橋市北図書館から借りてきて読み始めて非常に感銘を受けたのは、宇野賀津子『低線量放射線を超えて 福島・日本再生への提案』(小学館101新書)である。私は物理に関しても免疫・医学に関しても大した知見はないということをお断りしておくが、自分なりに読む限りでは非常に妥当な言論で、今非常に珍しいもののように感じた。そういうことで申し上げれば一ノ瀬正樹氏などの『低線量被曝のモラル』なども、一ノ瀬氏の他に中川恵一氏、児玉龍彦氏など様々な講演や論考を熟読しているところだが、私なりに考えると、現在自分が情報として読むことができる範囲で或る程度妥当だと感じるのは、一ノ瀬氏・中川氏・宇野氏、それから菊池誠氏くらいであろうか。「と学会」の山本弘会長らの本は未見だが。私は本を購入しないので、図書館族であり、基本的に図書館に入っていないものは読まないのである。そういえば先日、新宿にある模索舎の雑誌や書籍、ミニコミをよくよく調べたときも、これはちゃんと読みたいと感じさせる放射能問題/反被曝問題の本は何もなかった。矢部史郎氏たちがやっている研究会の年報だか会報だかがあったが、2000円以上も支払って購入したくない。それに限らず……。

さて、上述の人々は、ラディカルな反被曝論者であるとか、またはラディカルな左翼・左派からは、「反・反原発」とか「エア御用」と貶められることが多い人々である。たまに私の意見もそういう不本意で不愉快なカテゴリーに分類されることがあるが、私自身は疑似科学を科学理論的に否定するというほど科学のことをよく知りませんので……。私としては疑わしい意見の多くには相対的に妥当だという信を与えないというくらいで、それ以上のことはできないのである。そういう意味では非常に限界を感じるし、それから昨晩から今朝に掛けてずっと考察というか反省というか、瞑想というか熟考というか……ともかく、言葉はどうでもいいが、よくよく考えていたが、私は《降りて》いるというか社会に参加していないし。ニヒっているとか拗ねているというつもりもなくて、ただ単に事実としてそうである。40歳近い年齢になってとりたてて社会的地位もまともな財産も全く何もないだけでなく、何らの影響力もないから、ただ単に世間の片隅でぶつくさ言っているというだけであり、それ以上・以外のものは全くないのである。私は政治的・社会的・共同的……な人間ではない。非常に個人主義的であり、パーソナルであり、プライヴェートな、そういう意味で親密な世界にだけ生きているのである。ということは、船橋にある自宅・店舗とその半径数百メートルくらいの狭い地域から出ないということだが、そうして家族(両親)以外は数人しかいない会員としか会わないし話もしないということだが、そういう意味での閉ざされた・孤立した《親密》な生活圏だが、そういうところに自足していて寂しくはないのかといわれてても、別に寂しくはないと返答するしかない。個人的な生活、個人生活……それを超えるものは何もないのである。私はそう思うが、そういうことで、無意味に衒学的で申し訳ないが、古代のエピクロスの「隠れて生きよ」、近代のヴォルテールの『カンディード』の「自らの庭(畑)を耕せ」などを想い出すが、そういう個人主義は多くの人々から反動的というか退行的で後ろ向きだと非難され続けてきたのであった。昨日の山川菊栄のようなマルクス主義者もそうだが、彼(女)たちに限らず、人間は政治的動物、ポリス的動物、共同体や国家の政治に参与して生きる存在だという古代以来の主流の考え方からすれば、個人生活に自足するというのはただ単なる逃避なのである。それはそうかもしれない。私としては、そういう人々の侮蔑の眼差しをあれこれ予想しながら、あくまでも自分自身を守り続ける以外にない。

──ということで私が本当に書きたかったのは、そういうことではなかった。冒頭の福島氏と村山氏の話から、NAMとかNAM参加前夜、つまり20世紀の終わりということだが、そのくらいの時期に自分が何を感じ考えていたのかを想い出していたのである。それはこういうことである。非政治主義といわれるかもしれないが、政治が……ここでは選挙を通じて実現される議会政治ということにしておくが、政治がどうなろうと、我々の個人のリアルな生活、lifeがすぐにどうこう変わるということは当然あり得ない。公式の政治の場において起こる何かと個々人の生活の間には、媒介というか、「媒介」という抽象的な哲学用語が難しければ、様々な間接的なあれこれがあるのである。例えば、憲法が変えられるとか変えられないとか。それ以外の立法であるとか社会制度であるとか。税制とか。そういうことは廻り廻って個々人の生活に多かれ少なかれ影響を与えるが、当たり前のことだが、我々の生活はそういうこと「だけ」で構成されてはいない。我々の生活は、個々人の労働や経営などの経済生活とか、家族生活・友達付き合い、様々な社交や交際、文化などによって構成されている。

だからそうすると、選挙でどこぞの政党を支持したり、またはデモに行くよりも何か別のことをやるほうが自分(たち)にとってはリアルで切実だという見方も出てくるのであり、実際NAMはそうだったが、しかし多くの場合うまくいかなかったということで、他人のことはともかく私自身のことを省察してみれば、当時は1999年とか2000年、現在は2013年だが、何か生活が変わったのかといえば、ほとんど何も変わっていない。この10余年の間に起きたことや私が経験したことというのは、社会的には、ほんのちょっとパートに行ってみたというだけのことであった。それ以外には何もなかった。そうしてそういうパートタイム労働もすぐに(2年に満たないうちに)辞めて、今はまた自営業というか音楽教室に戻っているが、それもかつての比べれば驚くほど生徒が少なく、いまや数人ほどしかいないから、非常に厳しいというか追い詰められた状況ではあるが、だがしかしだからそれをどうこうしようというアイディアもないし、意欲も湧いてこないので、ほぼ毎日チラシを地域にポスティングする以外はそれ以外のことは全く何もやっていないということである。ですから要するに、元々最初から、NAMどころか大学に入る前からやっていた元々の商売に戻っただけということで、しかもそれもどんどん縮小しており、新しいビジネスの展開などは全く思い付きもしないのである。といってまたパートやバイトに出るのはどうしても気が進まない。だからだらーっとしている。まさに惰民そのものだが、私は自分の言葉は守っているということだろう。そんなもの別に守ったから偉いはずがないが、それはともかくとして。

今日はてらおストアの行き帰りに10年前のQ-NAM紛争についてまたしても非常に不愉快なことを想い出していろいろと考えていたのだが、まあ少し落ち込むというか落胆したほうがいいだろうというのは、そういう紛争がなくてスムーズに物事が進んでいたとしても、仮にそうなっていたとしても状況は恐らく全く大差ないものだっただろうと予測せざるを得ないということである。

村上春樹の『アンダーグラウンド』(講談社)についてコメントしようと思ったが、長くなったので今はこのくらいに。ではまた。