雑感

先程のアート・ペッパーを聴きながら小1時間程読書に勤しんでいた。勤しむというと「勤勉」の「勤」を書くが、然し内実はただ単なる余暇の趣味である。大島弓子の『毎日が日曜日』ではないが、私の場合は労働時間と自由時間、余暇の区別などなく、全てが余暇であるわけだが。そうして非常に集中して大変な速さで、然しまた丁寧に次々に読んでいったが、そのなかで山川菊栄が特に目に留まった。1916(大正5)年に書かれた『「俺が」「俺の」「俺に」「俺を」』だが。彼女は1890年に生まれているらしいから、そうすると26歳のときの文章ということになるだろうか。私は、インドラ・リービのいう文学的な鑑賞眼の確かさということはともかく、その倫理的な潔癖に思わず微笑した。そうして当たり前のことだが、《絶対的で徹底的な拒絶》という結論を即座に出したのである。

──そこに窺えるのは山川菊栄の若さである。若さ故に問題であることがあり、そうして、以後それはどうでもよくなるわけではないのだが、それについては敢えて語らなくなり、触れなくなるのである。神学や宗教の批判と同じである。19世紀中葉にマルクスエンゲルスが《宗教の批判はドイツでは終わっている》と考えたとしたら、20世紀のその頃において、彼女は考えたであろうというか、考えるべきだったはずであろう。《私(小説)の批判は日本では終わっている》と。事実そうだったかもしれないが、若かった彼女は一言批判というよりも厭味を申し述べざるを得なかったということであり、その短文の結びを拝見するとどうやら堺利彦の求めに応じて当時の文芸・文学青年の傾向を論評したもののようだが、そういう機会・機縁において執筆公表されたものとはいえ、彼女としても《少なくとも一度は》己れの信念や心情を吐露せざるを得なかったということであろう。

この短文の書き出しを引用してみよう。

《近ごろの文芸かぶれの青年は左の五種に大別することができる。

第一種はベルクソン生嚙りの「創造屋」である。

第二種は「俺が」「俺は」「俺の」「俺に」「俺を」と年中「俺」尽しの独り言をいって感激し、「俺」の噂に日も是れ足らざる自己耽溺家、自己崇拝家である。

第三種は安価な人道主義の、水同様の手製の酒に陶然とsちえいるセンティメンタルなトルストイアンである。

第四種は働き盛り若盛りの身でいながら、世の中に倦きた艶の抜けた年寄りのこわいろを使って、何一つ知りもせず経験したこともないくせに、何も彼も知り尽し経験し尽して世の中に愛想をつかしたようなことをいう、何ごとにも身を入れず何ごとも馬鹿馬鹿しいようにいう、アラ探しや棚おろしばかり好きなデカダンののらくら者の「幻滅屋」である。

第五種は個人と社会を別々に考えて、露路に「出入りの者のほか入るべからず」と同義の「個人主義」の看板をかけて、あやしげな草の庵に昼寝している世捨人の若隠居である。》

私はこれを読んで思わず苦笑いして、「この野郎──彼女は勿論女性なので、「野郎」ではないが──青いな。何ふざけたこと言ってやがるんだ。馬鹿野郎が」と罵った。そうして「絶対の拒否」という結論を貼り付けてお仕舞いにしたわけだが。何しろ「俺が俺が」の絶対エゴイストですのでね。

彼女の文章は次のように結ばれているが、私は冷淡には冷淡を、敵対や敵意にはそれと同じもので報いるというだけであり、要するに剥き出しの反抗心しかないということですが。

《これを要するにその種類を問わず、流行文芸に心酔する現代青年に特有の心理現象は、驕慢なる貴族主義と卑劣なる利己主義とである。彼らは社会の恩恵に浴しながらこれに酬いる道を知らない。彼らには個人を措いて社会は成立せず、社会を置いて個人は生存し得ぬ明々の理を無視して、独りよがりの夢想に耽って譫言を吐く誇大妄想狂である。われわれは彼らを憎むことを知って愛するゆえんを知らない。侮蔑すべきゆえんを知って尊敬すべき理由を見出しえない。彼らは社会の害虫であり、民衆の敵である。われわれは地球の上より一日も早く彼らの一掃されんことを望むほかない。》

私はありとあらゆる倫理的恫喝を受け入れないし、受け付けないのですよ。断乎としてそんなものは撥ね返す。その態度を改めたことはただの一度もないし、これからも絶対に何があろうとあり得ないのです。

彼女は正直であるだけまだいいが、皆さんがそういうふうにお考えだということを私が承知していないはずがないだろう。そうして拒絶には拒絶で応答するのが当たり前なのだ。《われわれは彼らを憎むことを知って愛するゆえんを知らない。侮蔑すべきゆえんを知って尊敬すべき理由を見出しえない。彼らは社会の害虫であり、民衆の敵である。われわれは地球の上より一日も早く彼らの一掃されんことを望むほかない。》というのは素晴らしい「最後の言葉」だが、絶縁と訣別、そうして最終的対決の宣言には同じもので報いるほかないのだ。それはそうなのですが、冒頭に書いたように、これは山川菊栄26歳のときの若書きですよ。ほとんど残っている最初のものだ。全集にはこの年/歳のものからしか入っていないからね。私が冒頭で申し上げただろう。《私(小説)の批判は既に日本では終わっている》はずだったってね。だから彼女も以後はこういうつまらないことには言及しなくなったのですよ。そしてそれでいいのだ。それだけだ。終わり。