雑感

私はもう三十八にもなるわけだが、真理に到達したなどと大袈裟な偉そうなことは一切云えないのだとしても、これでいいのだ、このままでよろしいという感じだけは僅かに掴んできたのであり、そしてそれだけで十分だという気がする。来客まであと二時間あるので、もう少々つまらない随想を書いてみることにしたいが、その手掛かりの一つは昨日Kensuke O-tsukaさんがおっしゃっていた伏見憲明『プライベート・ゲイ・ライフ』は個人的に重要だったし、同時代的にそうだったのを証言する、トランスジェンダー系の人には気付きのきっかけを与えてくれたに違いない、ということで、私は伏見氏の「理論」が理解できないという理由で疑問を呈したが、O-tsukaさんは俺は分かるの一点張りで、そうするともうあなたには分かるが私には分からないという永遠の平行線しかなくなる。まあ公式的に共有可能な定説だけではない、個人的な体験から蒸留された「理論」というか、個人を超えた一般論ということにしても、伏見さんのデビュー作以外に歴史的にいろいろあると思うが、私が挙げたいのは80年代だったと思うが、違ったかな。橋本治の初期の二冊、『秘本世界生玉子』と『蓮と刀』である。これまた非常に偏ったというか、強烈に否定的な認知バイアスや偏見がたっぷり叙述に盛り込まれているのは一読すれば誰でも分かるが、それでも私は橋本氏の言わんとするところは、O-tsukaさんではないが、それこそ「分かった」。察知というか了解はしたわけだ。文学的とかアイロニーというよりもかなり支離滅裂で強引な展開ではないかとしか感じなかったが、とにかく著者がこういう問題意識でこういうことを語りたいのだろうということを推測し忖度することはできたと信じる。そうすると、上述は同性愛、男性同性愛が中心だが、それに限らずそういうものは歴史的に沢山あったと思うのである。いろいろ挙げていくが、正確に西暦何年なのか今挙げられないが、ウーマンリブ田中美津。戦前ならば平塚らいてうや、それからとりわけ女性史に転向する前の詩人兼評論家としての高群逸枝である。私は頑張って読んだが、全体によく分からない。論旨や客観的内容は判然としないが、それはそうなのですが、しかし伝わってくるものや問題意識は確かにある。それをインドラ・リービ的な合理主義的(?)な割り切りで斬って捨てて否定していいのかどうかは分からない。インドラ・リービは山川菊栄一辺倒なわけだが、それまた極論というか、歴史の見方として到底公正公平とか妥当だなどとはいえない偏った議論、イデオロギー的というか党派的というか……。戦前女性主義を批判的に扱った小さなエッセイを『批評空間』に載せた96年における彼女の問題意識がどこにあったのかというのは、彼女のその後を見ても私には全く分からないし、彼女の思惑(そんなものがあったとしても)も一切理解できないが、とにかくあのエッセイ、小論文は……。だがまあ彼女には感謝している。そういう昔の、近代以降の日本の問題、女性を巡る論争や運動や政治を含めて、そういうことに問題意識を持って考え始めるきっかけにはなったからだ。そうはいっても、何度もしつこいが、私は彼女の視点は妥当ではないと今でも考えている。彼女は平塚・高群を批判するが、それは今日の観点からいえば、68年以降的な枠組みへの徹底批判だと言い換えることができる。話は戦前だが、実は、戦前を語りながら、68年以降今日まで続く或る状況を問題化し撃ちたいというのが彼女の評論だが、その証拠に、彼女はエピグラムとしていきなり田中美津のエッセイを批判的に引用している。田中の文章はこうである。全共闘とかそれ以降の政治の季節のなかで彼女は女性の問題、リブを提起したが、或る時革マル派の女性活動家から批判・非難・糾弾されたのだそうだ。だが、そのとき田中は、その女性活動家が爪にマニキュアを塗っていることを男性に媚びている、従属の証しではないかと反駁しやり込めたのだという。──インドラ・リービが、戦前の話をしながら、実のところその手の(現在も腐るほどありふれている)マイノリティ運動・政治や、揚げ足取りともいえる瑣末なポリティクスを批判したかったのだとしても、そうしてより客観主義的で科学的な、そして社会主義的な方向性を支持したかったのだとしても、何とはなしにAを称揚するためにBを否定してみせるレトリックとかためにする議論ではないかと思えてならない。私はそういうことは以前から繰り返し申し上げているが、皮肉なことに、私の最近の意見は96年のインドラ・リービに非常に近いものである。68年革命とか全共闘とか、マイノリティ政治とか何だとか。反差別糾弾闘争とか。当事者性とか感情とか尊厳とか。仲間がどうの気持ちがどうのとか。小集団を作って信頼関係を醸成すればカルトでも構わないとか。情念偏重、身体偏重、想像力の優位とか。ごく一般的な表現ではロマン主義とか、言葉の通俗的な意味における疎外論とか。そういうものにあらゆる意味で批判的であり反対だということだが、だがしかし、あくまでそういうものの誤用や極論的な行き過ぎやトンデモに反対なのだということであって、そしてそれだけなのです。そこははっきりさせておかなければならない。いかに感情が大事だとか想像力がといっても、想像力過剰な人々の意見というか妄想を余りに多く目にするでしょう。放射能被曝に関する神話だけでなく、藤圭子ケネディの娘で、アメリカの大使か誰かが来日する前に政治的に始末されたとか。そういうものは右における歴史修正主義と大差ないし、同じものですし、有害極まりないですよ。そういうものは理性的に斥けていかなければならないのだ。健全な市民社会をみんなで作っていくべきだというような話は本来したくないが、しかし止むを得ないだろう。世の中にこれだけこういう意見が溢れていれば。だがしかし、私が申し上げたいのはインドラ・リービのような(彼女の場合はそうだったと思うのだが)ためにする議論ではないので……。ということで私は、90年代を想い出すわけだが、そこで先程のO-tsukaさんとか、または、小笠原毅さん ogatakehikkyとかおっしゃることは非常によく分かるのです。つまり、当事者として、自分を肯定してくれたり、または今ある固定的な現実とは異なる別の現実の可能性を垣間見させてくれる何か、そういう言葉や表現や知識が欲しい……。そういうものに飢えている。人はパンのみにて生くるにあらず。パンは勿論必要だが、それだけでは足りない。理念や観念、アイディアも必要だ。そしてそれだけではない。19世紀終わりに多くの思想家が口を揃えていたように(彼らの主観的な意識、私念 Meinungとしてはそれは反ヘーゲル主義ということだった)、可能性は我々にとってあたかも酸素のようなものである。それがなければ呼吸ができない。息をつくことができないのだ。可能性というのを、些か甘いロマンティックな、感傷的な言い回しだが、希望と言い換えてもいいだろうが、それが失われているときには人間には《生きる》ことができない。少なくとも主体的に生きることはできない。それは19世紀終わりとか20世紀初頭だけではなく、20世紀終わりから2013年の今日に掛けては、また別のものに関して非常に問題だ。それは申し上げるまでもなくポストモダニズムだが、一切の可能性は尽くされて歴史は終わったという考え方である。もし冗談でないとすればこれは深刻だが、いうまでもなく革命の可能性/不可能性との関連で考察されなければならない。フランシス・フクヤマが典型的だが、我々人類が世界史的に最終的に到達したのは資本主義と議会制民主主義の組み合わせであり、つまり現状こうある社会であって、それ以外のものは絶対にないのだというシニカルな断言である。いや、本当にそうなのかもしれないのですが、そう思っている人は多いし。19世紀終わりと違って今日では、ヘーゲル主義ではなくポストモダニズムの抑圧が問題ではないでしょうか。