雑感

ゴロゴロ(と我が家では言い慣わしているもの)にCDラジカセ2台を載せてコジマ電機まで引っ張って行き、ケンウッドの電源コードを注文して帰宅。少し休んで、TSUTAYAでポスティング用チラシを100部コピー。コピー代はA3一枚が5円である。8月も終わりで盛夏も過ぎており、外の風は穏やかでまた涼しかったが、だから、冷房は要らないなと考えていたのだが、帰宅して自室に戻ってみるとむっとして暑い。それで仕方なく冷房を入れてみた。またしても脱衣してコールマン・ホーキンスの『デサフィナード』を聴くが、実にいいアルバムである。1962年録音のホーキンスのボサ・ノヴァである。音楽についてもあれこれ考えてしまうが、それはまあ置いておいて。考えたのはもっとのんびりすべきだということで、一日8時間も10時間も拘束される定職もなく既に十二分にのんびりしている私がさらにのんびりなんてのはおかしいのではないかと云われそうだが、ただ単に暇であるというだけではなく心のゆとりのようなものである。物理的な時間でも社会生活的・経済的な労働時間でもなく、心理的な時間というか、感覚、感情、《感じ》としての……。こういうことが一般論としていえるかどうか分からないし、だから一般化するつもりもないのだが、何となく10代の最初のほう、とりわけ中学生になった辺りから理由もよく分からないせき立てのようなものを感じるようになった。そしてそのまま現在に至るが、私は何となく世間にいわれる思春期の発達の問題とか厨二病というのはそういう時間的なせき立てということもあるのではないかと個人的に感じている。それはどういうことなのかというのを説明してみれば、一つには終末の問題である。一つの区切り、人為的な区切りとしての終わりを意識するようになるのではないか、ということだ。これもあくまで個人的な話だから一般化できるかどうかは分からないことをはじめにお断りしておくが、私は何となく小学生くらいまでは、今続いている日常に決定的な変化があるとか「終わり」があるとは思わなかったような気がする。12−3歳くらいから、最終的な死を含めて、何か決定的で不可逆的な変容・変化、区切りのようなものがあるのではないかということを漠然と思うようになったということだが、それは勿論物理的な、或いは社会的なものではなく、個人的で心理的なものである。例えばTwitterの音楽関係のbot厨二病あるあるという投稿で、いきなりマーラーなどの後期ロマン派をわけもなく好むようになるというものがあったが、後期ロマン派の音楽は終わりなり終末の観念に彩られていないだろうか。まあそんなことはどうでもよろしいし、後期ロマン派の趣味が幼稚で、ハイドンモーツァルトなど爽やか古典派がオトナなのだというような通俗的な陳腐な話でもなく、そういう趣味はどうでもよろしいのである。そうではなく私が申し上げたかったのは、上述の個人的で心理的な終わりの意識が何らかの意識的な先取りであるということで、それはもしかしたらハイデガーの死への先駆性や前もっての了解などの深遠な概念を引き合いに出して検討すべきことなのかもしれないが、だが残念ながら私はドイツ哲学に疎いのでそういうことはあっさり断念して個人的な、私的な……私小説的な・または自分史的なお話、ライフヒストリーに終始するが。要するに私は自分の話が客観性や妥当性を要求できるかどうか分からないので、とりあえずそういうことは保留しようということなのですが。それで話を戻せば、十代の、思春期のせき立てや終わりの意識は観念的な先取りであるということであった。なぜならば、本当に自殺したりして夭折すれば話は別だが、通常、私を含めて世の中の大多数の人々には実際には終わりはやってこないからである。そうではなくて、これまた典型的に陳腐なロマン派的な意識なのだが、成熟というよりも明確な終わりや変容などが何もないだらだらした膨大な、長大な時間だけが継続するのを目の当たりにすることになる。これもですね。私は私以外の人々の生を「内側から」眺めてなどいませんから、自分の経験ではそうだというだけのことだよ。つまり、あれこれ思い返して数え上げてみればいろいろなことがあったかもしれないし、またいろいろやったのかもしれない。これまで遭遇したり接触してきた人々も数限りないのかもしれない。だがしかし、そんなことが何だろうか。特に何でもなかった。無というか無に等しい、あたかも夢とか幻のようなものである。これまた陳腐な感想なのだということはよく承知しているが、そう思わざるを得ないのです。そこにおいては何もない時間というのは、終わりとか終末、終焉とかカタストロフィがないだけでなく、何らの大事件も決定的な出来事も、重要な経験もない。平々凡々とした退屈な日常の時間が膨大にあるだけ。そういうことです。終わりや破局がないだけでなく、達成もない。何か形としての成果もない。日々のプロセスや積み重ねはもしかしたらあるのかもしれない。それはそうだが、それはそういう個別のばらばらのものとしてあるだけで、それが結果としてどうなるということはこれまでなかったし、これからもないだろう。私はそう思うのだが、そうするといつも申し上げているような断念とか諦念というテーマにならざるを得ないだろうが、まあそうすると世間の人というか、とりわけ活動家に類する人々は……。あきらめ節だとか何とか。転向とか堕落とか。負け犬だとか。何だのかんだのと言うわけさ。活動家に限らず誰でも、まあ多くの人々がそうなんだが。負けに負けている、負け続けているとか。私はそういう意味での他人とか他者とか、世間とか社会を切断して断ち切るべきだとは思いますよ。思いますが、でも別に解釈や考え方を変えても勝利したりできませんからね。それは妄想というか、妄想ではないが観念的な倒錯というのですよ。ですから、そういうことはやめたほうがよく、ありとあらゆる意味で物事、事象について一種の澄んだ目というか、澄んだ視線、澄んだ眼差しを持ったほうがいい。澄んだ眼差しというのは、何も美しいとか純真とか、倫理的とか道徳的とかそういうことではない。全くそういうことではないし、そういうものと私は関係ないが、要するに物を物として、そのあるがままに見る眼差しということだよ。というふうに申し上げるとそれは、川端康成のようなタイプの人々のいわゆる死者の眼のようなものなのか、という人もいるかもしれない。それは系譜を遡れば、志賀直哉のあの名文、『城の崎にて』にまで遡るような。つまり、そこで志賀は、鼠が死んでいく様子を徹底的に凝視し、そして書いているわけだね。そこにおいては一匹の鼠が死ぬだけのことで、それ以外には何もないではないか、というのはまさにその通りで、端的にそれだけであり、それ以上・それ以外のものは何もありはしないのですが、しかし、その虫の死を超えた一種の冷徹なリアリズムが表現されているでしょう。志賀よりもっと遡れば正岡子規などの写生文であるとか、または小説ならば言文一致など。どういえばいいんだろうか。客観写生。外物の。また自らの感情の(子規は『万葉集』や源実朝金槐和歌集』に遡りそれを理想とする)。リアリズム、自然主義私小説以降はともかくとして、近代というか明治のそういう風景である。さて、今ネットで『城の崎にて』を再読してみたが、私は虫と思っていたが鼠だったみたいだね。だから、上記の記述は(ブログにアップする前だが)鼠に訂正しておきましたが。……話を戻しますと、《言葉》と《物》の取り結ぶ関係、写生とか描写などと称されているものが問題だ。そうして別に我々は、自然主義文学とか私小説とか、アララギ風の短歌を作る必要もないわけだ。『城の崎にて』ではまず鼠が死ぬ。それから、語り手が投げた石がイモリに当たり、そのイモリが死ぬということだったが。ここで(三度目だが)訂正しておく。写生とか描写などもどうでもよろしいわけだが、一種の物というか事象そのものと一致する態度を仮に《澄んだ眼差し》というふうに形容してみたというだけのことですが、これも一つのつまらない、下らない人生論、人生訓に過ぎないのでしょうかね。恐らくそうだろうな。