雑感

30分のポスティングから戻って、今日3回目か4回目だが冷水シャワーを浴び、ウォルター・ビショップ・ジュニア『オーニソロジー』(Walter Bishop, Jr. / Ornithology)を聴いている。先程のホレス・シルヴァーもそうだが、低線量……じゃなかった、低音量で流しているのでほとんど聴き取れるか聴き取れないかくらいであり、母親もこれで聴こえるのかと訝しげだったが、別に、聴いている振りをしているだけだから何でも構わないのだ。さて、もう19時も廻って夕方、夜で、風も涼しいし冷房も入れていないが、そろそろ酷暑も終わりであるようだ。もうすぐ9月だしな。秋雨前線が関東に近付いてきていると昨日もニュースの天気予報が云っていた。

そんなことはともかく、毎日幾らポスティングに励んでも一向に生徒が増えないのだが、これは《努力によって浮動票は不動の票になる》という『民主の敵』の野田佳彦の意見に反しているな。まあ幾つか可能性が考えられるが、一つはこの地域には音楽が好きな人が余りいないということ、もう一つはリアル地域やネットその他で悪い評判が立っているのではないかということ。それは確かめる術はないが、とにかく顧客、消費者が少ないからオレたちの家計もスローダウンというかクールダウンというか、どういえばいいんだ。とにかく急激な冷え込みだな。別に構わないというか生きてさえいりゃいいのだが。

ということで今後の展開を幾つか考えてみたが、一つはチラシのポスティングではなく口コミで増やすというもの、もう一つは音楽教室や個人学習塾というのがダメだから再び飲み屋などとして開店するというもの、もう一つはcyubaki3などが云うようにネットで展開して新規顧客を開拓するというもの。まあいろいろ試してみてもいいだろうが、とりあえずホームページを数年前から更新していないから何とかしたいものだな。

ま、オレは当たり前だが、一介の自営業者というか、実際には自営業もほとんど大してやっていないくらいの遊び人、遊民、惰民というか……地域の不審者のようなというか、とりたてて真面目に何もやっていない人間なのだが、そういう人物を周り、ご近所さんが余り信用しないというのも理の当然であるような気もするが、かといって以前のようにどこぞにバイトやパートに出掛けるという気持ちにも一向にならない。ですから、全て現状を放置しているだけだということです。

などというふうに今ご隠居さんからいただいたノートパソコンを立ち上げてワードパッドに入力しているのだが、オレは書くことが好きだから、400字詰め原稿用紙に手書きとか、こうしてパソコンのテキストファイルに独りでずっと書いているのは非常に楽しいな。要するに読んだり書いたりすることが心底好きなのだ。そしてそれだけだ。こうやって、どうせ書き上げたらすぐにはてなダイアリーFacebookにアップするのだとしても、とりあえずそういう公開公表やコミュニケーションとは切断して、自分のパソコンで好きなことを好きなように展開して書いているというのは非常に楽しい。本当に純粋に心からそう思うが、ということは、インターネットがiPhone, iPadなどに進化展開していったら、余りにも他人とのコミュニケーションや「情報」が多過ぎる、過多だということである。情報やコミュニケーションが多過ぎるし、またギロンも多過ぎるが、そういう場所では本当に重要な充実した時間というものは持てないのである。オレはそういう意味でだけ吉本隆明の『ひきこもれ』に賛成だ。つまり、吉本がひきこもりを誤解している、というか全く理解していないのだとしても、《独りである時間》は人間に絶対に必要なものだと信じる、ということだ。オレは本当にそう思うが、余りに他者との接触に晒され過ぎる場所では、ただ単に表面的な社交とか、記号的な関係というか、決まり文句的な応答しか出て来ない。要するに相槌を打って相手に適当に合わせるというだけで、本当の勉強とか思考とか、沈思黙考とか、または何かの鑑賞とか体験とか創造などはありようがないのである。失われるのは文化だけでなく生もそうであり、それのみならず、空想や夢想といった極端に個人的なありようもそうである。大体皆さんは幼い頃から延々と気づけば何時間も空想や夢想に耽っていたという経験はないのだろうか? オレはあるのだが、まあガキの頃から夢見る夢子さんというか、空想癖の強い子供だったのだろうな。

先程二和の街を、薄暗くなって日も暮れた街をさ。ずっとのんびりチラシ入れをしながら歩いていたら、その静寂や穏やかな気候のなかでふと突然、何らの脈絡もなく30年前の別府の街の様子や光景を想い出した。人間の記憶というのは奇妙なものだな。そう思わないか? どうして30年前の九州を想い出したのか分からないのだ。そうして別のことも……もっと最近の記憶も何か想い出したが、そちらのほうは忘れた。それはそうなのだが、余りにも静かで穏やかな町並みである。この船橋の外れ……すぐ隣りは鎌ヶ谷市なのだが。10分も歩けば。それはそうなのだが、この田舎町というか地方都市に住んで20年以上になるが、非常に快適だしもう住み慣れたのだと申し上げてもいいだろう。オレはこの街を愛しているというほど愛着はないが、とにかく住み易いし住み慣れている。それに20年以上の習慣や慣習によって多くの事柄が容易になり楽になったのだということだろうな。

それから今朝は3時頃起きたが、奇妙な夢を見たんだ。場所は四谷の学校、コミュニティ・カレッジで、美術家の岡崎乾二郎氏が芸術や美学について2年間講義をした終わりの日ということになっている。そこに何故か社民党のNさんがいて、社民党の小説部門(?)としてこれだけの人々が集まったことは誠に喜ばしい限り……とスピーチをする。オレはそれから帰宅しようとするが、道を奇妙奇怪な若い女の二人連れが歩いている。彼女が奇声を発したり不気味なことばかりするのでオレは彼女を避けようとするが、彼女は何か魔法や魔術や超能力のような不思議な力でオレのほうに迫ってきた。というところで眼が醒めたが、とんでもない悪夢だった。いつものように……いや、最近は余り悪夢は見ないのですが、夢というのは何なのだろう? 死んだ過去との再会なのだろうか。それはオレには分からない。死者たちもこのところ余り夢には登場してこないのである。

という感じかな。