ラスト・トリオ・セッション

ウィントン・ケリーの『ラスト・トリオ・セッション』を聴く。『情況』にかつて載った小泉義之王寺賢太長崎浩による湯浅誠・宮本太郎・芹沢一也、それからおまけに濱口桂一郎への批判がひどいらしい。僕は民主党の議員で現在選挙戦を戦っている松浦大悟Twitter及び濱口桂一郎のブログで読んだ。実物を読んだほうがいいだろうが、こんな下らないもののために1円も払う気はない。図書館にも所蔵されていない。

どう申し上げればいいのか、統治論というかファシズム(!)というか、社会政策に定位してというか、具体的な国家なり政府なり政党なり……そういうものとは異なる左翼的(?)な批判的ポジションを確保したいのだろうが、そんなものは空想の世界にしかないのではないのか。マルクス自身は違ったのかもしれないが、ヘーゲル全体論的な立場、国家や社会総体という視点で考える立場を批判する左翼の多くは、個人倫理ではないとしても、カント的な主体的/主観的倫理に退行したのではないのか。対抗運動ではなく退行運動。定言命法ではなく提言迷法だ。政治とか社会に提言しているつもりで、そのじつ完璧に無意味だからね。世迷言。戯言。愚劣極まりない……いや、この辺でやめておこう。あなたはディドロ研究だけおやりになればそれがみんなにとって一番よろしい。適当に左翼的趣味で無意味な介入をするのは金輪際二度とやめなさい。それだけだ。

LAST TRIO SESSION

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