オスカー・ピーターソン/テンダリー

オスカー・ピーターソンの『テンダリー』を聴く。1950年3月のこの録音は彼のヴァーヴへの初吹き込みであり、また、トリオではなくベースとのデュオである。トラック1から8はレイ・ブラウンがベース、9から12はメイジャー・ホリーという人だが、こちらについては僕は知らない。僕が持っているCDのライナーノーツはいソノてルヲ氏が書いている。戦後の或る時期まで少し保守的な傾向の評論家として知られていた人である。

さて、昨日はルソーの『告白』について少し考えるうちに、いつものように大幅に脱線してしまったのだが。といっても、冒頭の数行を取り上げただけだったのだが。僕は後年の人々がとりわけニーチェ以降彼に差し向けたあれこれの批判に納得も賛同もできない。それは政治理論家、社会思想家としてのルソーの民主主義論の欠陥や未熟に向けられる(『社会契約論』)。また、ロマン派の先駆というか創始者(?)として「自然」と「真実」を素朴に結び付ける彼の文学に対して、「ルソーには多くの悪意がある」(ニーチェ)という揶揄が投げ掛けられる(『告白』、『ルソー、ジャン=ジャックを裁く』、『孤独な散歩者の夢想』)。

ルソーは多面的な存在であり、音楽家でもあれば哲学者、社会思想家でもあり、他方文学者(作家)でもあったのだが、以降の人々は例えば文学なら文学だけを追求したということであろう。恐らく我が国の自然主義私小説の伝統を触発し形成したのはルソーその人というよりは何か別のもの、後代、19世紀のフランス文学(例えばゾラ)だったのではないだろうか。そして、ルソーの『告白』の文章とそれ以前、例えばモンテーニュ『エセー』を比べる必要があると同様、ルソーと彼以降の文学の流れも検討する必要があるが、まず、語学から学び直す必要もあり、余りに迂遠な課題である。

日本であれば、私小説に関する(批判的な、また稀には共感的な)論考は昔からあるが、一つの典型的な言説として小林秀雄の『私小説論』を取り上げれば、それは弾圧によってプロレタリア文学、プロレタリア文芸が亡んだ後に書かれている。そして、日本的な近代の一つの歪みとも捉えられる私小説が衰退し亡んだ後に、今日まで残っているのかどうか存じ上げないが、当時ヨーロッパから翻訳紹介された真の個人主義文学(というものが何なのか僕にはよく分からないが)が日本でも生まれ成長し根付くことを期待するといった論旨だったと記憶するが。

小林の比喩的な表現は分かりづらいが、彼の云いたいこと、云っていたことの一つは、私小説においては個人の顔立ちが明瞭なのだということである。その発言の意味は、日本の私小説においては、語り手の「私」がそのまま作者・作家その人と同一であることが暗黙の自明な前提であり、そしてその「私」の(文壇及び文芸を好んで読む読書人階級という閉じたムラ内部では周知の)身辺雑事、身の回りの日常をあれこれこまごま描くという意味で、《個人の顔立ちが明瞭》だったということであろう。

小林の評価では、他方、プロレタリア文芸はその《思想の力》、イデオロギーによって、その個人の顔立ちなるものを消し去った。これも、個々の作品をあれこれ具体的に検討してみなければ何ともいえないことだが、当時のキーワードとしては《主題の積極性》、つまり政治的な課題やテーマの優位の強調ということを思わざるを得ないだろう。それは芸術家としての作家の内面的、内発的な「これを描きたい、こう描きたい」ということへの抑圧であるとともに、上述の階級的というよりも趣味的な《個人の顔立ち》の発現などを許さない普遍性を志向するものでもあったであろう。

今日ではもはや誰もそういうことに言及しない《政治と文学》なるテーマは、主にはこのプロレタリア文学・文芸とそれへの反撥という枠組みであろう。その前段階として、明治における政治小説と、そうではないいわゆる近代文学の成立というずれがある。それ以後、戦後において『近代文学』などの周囲での論争があったはずだが、しかし、ありとあらゆる意味で、そういう問題意識や問題圏は全部消去されてしまったようである。我々は現在、かつてのような近代的な政治的プロジェクトを(反米主義、対米従属からの脱却というしばしば好んで口にされるテーマ以外において)何か持っているのだろうか? 文学を含めた芸術において、独自の自律的な価値として擁護し実現すべきものを何か持っているのだろうか? 私小説を含め、そうではないものも、また、音楽など文学・文芸以外の芸術ジャンルも、すべて、あたかも短歌の日常詠にも似たアマチュア(愛好家)やセミプロの営み、ただ単なる同人的な趣味でしかないのではないか?

ということをどうしても考えざるを得ないのである。

テンダリー(Tenderly) (MEG-CD)

テンダリー(Tenderly) (MEG-CD)